2017年8月15日火曜日

絵日記帳 その15




 いちばん身近な昆虫が蝉だということが
この絵日記帳からもわかる。

 暑いさなか近所のあちこちを歩き回り、
蝉とりをしたことは今でもけっこう覚えている。
あそこの大きな木にはたくさんいて、
こっちのほうの木は樹液がでていてカブトムシがいるなど
近所の虫マップは頭のなかに健在だ。

 そういえば、あのおいしかったいちじくの木はどうしたかな。
シロテンハナムグリやカミキリがたくさんいた木だった。
ハナムグリは捕まえて胴を糸で結び飛ばして遊んだな。

 今日は終戦記念日、敗戦記念日か。
小学校の頃、男の年配の先生はほとんどが元兵隊さんだった。
海軍だった先生、飛行機乗りだった先生、大砲をドカンドカンぶっ放していた先生、
弾のなくなった鉄砲を飛んでくるグラマンに向けて、口でバキュンバキュンと言いながら
山の木々に隠れ撃っていた先生、まだまだたくさんいた。

 そんな先生たちの号令は、半端じゃなかった。
おもわず、背筋がシャキーーーンとしちゃうんだな。
時々話してくれる、昔の話はたいてい戦争の話だった。
青春時代イコール戦争だから、無理もない。

 そんな先生たちが、子どもを叱るときは
怖かったな。
先生、背筋に鉄柱が入っているようにピッーンとしちゃうんだな。
それをみて、子どもたちの背筋はピッーンをこえて、反り返っちゃうんだ。
でも不思議と、ピンタをする先生は少なかったな。
日常的にあまり見なかった。


 街なかにも防空壕やら、空襲のあとやら、
駅なんかには戦闘機がぶっ放した弾痕なんかもあったしな。

 棺桶に片足突っ込んでいる今の生活でおもうのは
忘れちゃいけねぇぞってぇことだな。
忘れちまったらまた戦争だよ。
うん、確実にな。

 72年前の今日は、抜けるような青空だったと本屋のおばちゃんが言っていた。
その隣の隣の八百屋さんの爺さんは戦艦武蔵の乗組員だったんだよ。
武蔵のときのことを聞くと、
戦後から今日までの記憶がとんでしまって、表情から目つきまでが変わってしまうんだな。
それ以来、怖くてきけずじまいだった。
ききたいことはたくさんあったんだけど、人格が壊れてしまったらとおもうと
とてもじゃないけど、それ以上できなかった。

 島のひとつやふたつ、欲しい国にくれてやったってかまわねぇーじゃねぇーか。
その島をめぐって、戦争するよりはましってぇーもんだ。

 柳のようにしなやかに、
ゴキブリのように地べたをはいずくばって生きるんだ。

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