田舎の家の北側にある桑畑をしばらく歩き、竹やぶの崖の小道を下ると
荒川の河原に降りることができた。
危険なので必ず、大人と一緒だった。
浅い川の瀬に脚をとられ、流された恐怖は今でも思い出すと
すね毛が総立ちになる。
埼玉は寄居に正喜橋という荒川にかかる橋がある。
そこから真下に河原が広がり、富士岩だったか饅頭岩だったか、でっかい岩があった。
絵に描かれているのはその岩だ。
下流方向の岩の奥の鉄橋は東武東上線で、左側が玉淀駅、右側が鉢形駅となる。
河原で遊んでいる時は、電車が時計代わりだった。
このあたりは、当時から砂利採掘で、川底が出てしまっていた。
上流の玉淀にはダムができていたが、台風や大雨になると、
この岩の上面辺りまで水量は増し、激しい文字通りの荒川であった。
正喜橋の上から見ていると吸い込まれそうになり、恐怖心一杯だったな。
しかし、この時とばかりに、両岸から荒れ狂う水面に釣り針を投げ入れる人がいた。
入れ食い状態で、バンバン釣れていた光景がなんかアンバランスで妙だった。
この絵、良く描けている。
自分でも上手だとおもうぞ。
そして、文章もよいが、文字が迷いなくしっかりとした筆跡だ。
消しゴムのあともない。
苦手だった「を」の文字の使用が2回とも正しい。
夏休み中に「お」と「を」の区別を学習したのかもしれない。
この風景、50年以上たった今でも変わっていない。
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