2017年9月2日土曜日

「江戸・明治百姓たちの山争い裁判」草思社 渡辺 尚志 著

 古文書をひもといて、あらわされる百姓たちの山争い裁判の史実は
テレビや映画で見ているようなものとはだいぶ異なっている
のだなと目をパチクリとした。



 日本は7割以上が山であることは、子どものときから知っている。
あまりに当たり前すぎて、その山が普通に自然にまかせてできあがっているものと
何の疑問もなくおもっていた。
ところがどっこい、全国の百姓たちは命がけで自分たちの山を、
守ってきていたことを示す、古文書が全国にたくさん存在するのだという。

 本書では、そのうちのふたつ、信州と山形の山争い裁判の古文書を詳しく紹介している。
百姓とお代官様の関係も、時代劇の見過ぎで「おぬしもわるよのぉー」になってしまうが、
そんなことはないとわかっただけでも、近在する山々を眺める気持ちが新たになった。

 7割もある山々はお百姓さんたちが命がけで守ってきた結果なのだ。
山形は天童の山争い裁判では何十年もかけ、親から子へと引き継がれながら争っている。

 しつこいという表現は裏にうるさいという悪意があるが、
いったん結論が出されたあとも執拗に控訴・請願・懇願など
あらゆる手立てを考え、しつこくネチネチと一歩も引かない。
命がけなのである。

 そういった、小さな村々の山争い裁判が全国で行なわれていた結果が7割の山なのだが、
これからは、日本地図を見るときの意識が変わることだけは確かだな。

 母方の実家はお百姓さんです。
ボクのじいちゃんが、食うものも食わずに水だけで我慢して
土地を僅かばかり増やし、ご先祖の土地を守ってきたんだぞと
よくきかせてくれたことを思い出しました。

 もう何十年も前のことです。 
母の実家が、池袋から90分の通勤圏に入ったとき
住宅開発が同時に始まりました。
じいちゃんが汗水働き苦労してきた農地を、
切り売りするとき、
同じ言葉をため息を吐き、白湯をすすりながら
独り言のように言っていました。


0 件のコメント:

コメントを投稿