平凡社 1964.2
浜田 彦蔵 著
先に投稿「ペリー艦隊黒船に乗っていた日本人「栄力丸」十七名の漂流人生」をした。
この本は、この乗組員彦蔵の自伝である。
いやはや彦蔵はあのリンカーン大統領にも会っていたのだな。
リンカーン大統領の執務机での所作や様子を記述しているところがある。
浮かぶ映像はなぜか白黒だが、とても身近に感じることができる。
文章が実際の映像を上回ることもあるのだな。
同じような映像がそういえばあったなと思いだした。
三浦按針ことウイリアム・アダムスが、家康と会見したときのこと、
家康の様子をかいている。
一段高いところに座っていて、微笑みながて手招きしこちらへきて座れとしているところだ。
こちらは総天然色でキラキラしている。
ゆく先々で彦蔵はアメリカ人の世話になる。
これでもかというくらいである。
もちろんひどい扱いを受けたこともあったが、
単なる親切をこえて、教育を受けさせてくれたり
彦蔵自身の独立を援助する手助けをしてくれている。
なんの見返りも求めず、年月を経て再会すれば喜び、
家に泊まっていけと以前と同じ様に愛情深く接する。必要があれば推薦状や紹介状をもたせる。
アメリカ人たちのこのようなたくさんの援助こそが、
開拓精神というものの別面なのだろうかとおもう。
独立である。
自分の道を拓く。
それらの何から何までが自分ひとりでできないことも多い。
手を差し伸べることができることは、おしみなくする。
この自伝の中に、さきに投稿した「幕末横浜オランダ商人見聞録」で取り上げたと重複する記事がある。ゴールドラッシュと横浜のゴロツキについてである。
「横浜での諸問題」というところにでてくる。
「この地で貿易ができるようになって以来、外国の商人や取引業者たちが、清国の諸港やその他の土地から横浜へなだれこんで来た。」
幕府は横浜移民へ、保有する土地は三年間無税たるべしなる御触書で優遇するのだが、れっきとした人びとはほとんどその勧誘に応じなかった。
やってきたものは、単なるひと旗組や投機師という手合だった。
「噂によれば、こうなったのも、れっきとした人たちは外国の『野蛮人たち』つまり、
彼らのわけの分からぬ言葉、奇怪な異国じみた物腰、と接触するのをこわがったことによるのだそうである。」
ゴールドラッシュについては、両替問題とあわせて再三、記している。
下関での長州藩との大砲の打ち合う戦闘の様子は生々しい。
彦蔵の乗船した船も被弾し死傷者がでている。
この自伝は、彦蔵が見たもの経験したことを淡々と記し重ねていく。
特に深い考察もない。
だからなおさらカメラをまわし続けたように編集もさほどされてなく時代をうつしている。
貴重な自伝である。
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