2018年7月22日日曜日

逆説の日本史 18幕末年代史編 1 その2

 しかし、10ぺんぐらい繰り返している黒船に戻ると、
井沢氏も取り上げている異国船については、
当時のオランダ学者など知識人の間では十分に知れ渡っていたし、
そのうち開国を迫る船が現れるであろうことはこれまた予想されていた。

 実際に異国船をみた漁師たちもたくさんいた。
それらの伝聞はあっというまに浦々や村へひろまった。
たくさんの古文書が残されている。

 大衆にあまねく知れ渡ってはいなかったということは
やはり知らなかったということと同じようなことだという見方もあろう。
だが、北海道から本州太平洋沿岸、南の島々で実際に見たり難破船を救助している人たちがたくさんいるのだ。幕府や領主、村役人がいくら口外禁止を叫んでも、口伝えに噂が広まることは止められなかった。

 だから、黒船については
いきなりあらわれたと衝撃をうけた人たちもいただろうし
とうとう来たかという人たちもいた、というのが正確な表現になるはずだな。
まぁ、井沢さん、黒船モナカ食ってお茶飲んでもう一度考えてみてください。

 扨、愚劣で無能な幕府も、江戸湾にお台場を作ったり、日本各地に同様のものを作った。
川越藩や会津藩などに命じて沿岸防備もさせた。
何もしなかったわけではないのだ。
大火事をジョウロで消火しているようなものだが。

 さらに、浦々の名主役人共を通して、異国船を見たら直ちに告げるべしと徹底させている。
この徹底ぶりは凄まじく、漁師の家々でも代々引き継がれてきていた。
例えば戦前、海軍の街、横須賀では沿岸に飛行機が不時着したときや軍船が座礁したときなど、
第一報はほとんど漁師が発見し、郵便局などに駆け込んで電信で知らせていた。

 その程度しかしなかった、できなかったというのがこれまた正確な記し方だとおもう。
日本の外交は無能だが、江戸時代からずっとその悪しき伝統を引きずっているということだな。

 どうしてよいか名案など思い浮かばんが、選挙で変わることがないというのは事実。
この先もかわらんだろう。
衣食住足りてなんとか暮らして行ければよし、ということなんだろうな。

おわり


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