2019年12月14日土曜日

「歴史を記録する」吉村 昭 を読んだ その4

河出書房新社 2007.12
対談集。


 この部分の対談も愉快。

半藤 明治政府になったら、彼らがいっていたような天皇親政の国家は無理だとわかった。だから天皇を上に戴きながら、官僚国家をつくるわけです。つまり、古代日本のように天皇が自ら政治を執り行うという国家形態が不可能になったとき、日本人の心の奥底に尊王の精神が深く沈んだ。同じように攘夷の精神も、開国せざるをえないことがわかったとき、地の下に抑えられちゃった。しかし何か事があると、その尊王の精神が戦前昭和の時代には、ちょこちょこ地べたから顔を出す。
革新将校や革新官僚は、その類だったのではないか。

 それから攘夷の精神も、太平洋戦争のときに噴出する。大東亜共栄圏とか鬼畜米英とか一億一心とか、あの時代のスローガンはすべて攘夷の精神の現れなんですね。
というのは私だけの説ではなくて、亀井勝一郎氏が、昭和16年12月8日を迎えたときにいっている。これこそ幕末以来の尊王攘夷運動の発露であるって。

つづく


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