新潮社 2009.12
吉村 昭 著
読みごたえたっぷり。
面白く、ためになる。
何を隠そう、ジジイの父方の祖母は彦根藩武家の娘でござった。
なのでジジイには彦根の血が四分の一流れている。
しかし、せゐばあちゃんはなんにもそれらにかかわるはなしはしてくれんかった。
うーん、残念。
しかし、父からはいろいろ聞いている。
ジジイは横浜生まれで、通学した中学校の近くに掃部山公園があった。
付近に住んでいる人以外はなかなか読めない。
地元の人には県立音楽堂or県立図書館or県立青少年センターの裏といえばすぐにわかる。
それにしても斉昭公は将来に禍根を残したな。
よいこともたくさんしているのに・・・
彦根と水戸の方たちは今でもきっと感情的にまずいのだろうな。
どちらかが歩み寄ろうとしても、断るだろうな・・・
水戸藩では斉昭公が唱えた尊王攘夷論が途中から変質して、結局は藩内で分裂して異論者同士が殺し合って、明治維新を迎えたら、有能な若者たちはほとんど死に尽くしていたんだから、
ため息もでない・・・
襲撃の合図に放った一発の弾丸が井伊掃部守直弼の太腿から腰を貫通していたという検視報告には驚く。直弼は駕籠の中であぐらをかく姿勢でいるしかなく、銃弾は駕籠の下部から入ったことがわかる。勿論重傷でこの一発で直弼は動くことはできなくなり、気を失っていたかもしれない。
ピストルを発射した本人は前日か前々日にわたされ、練習も何もしていなかったろうし、ピストルだって初めて撃ったに違いなかった。緊張で震えていただろうし、念入りに狙う暇などない。
懐から速やかに出して、駕籠に向けてズドン。たった一発が見事に命中したのだから、スゴイ。
関鉄之介は斬首(1862年)になったが、孫の関勇氏は昭和58年に病没していると吉村昭氏のあとがきにある。明治は遠くになりにけりなんて呑気に言っているが、そんなのは嘘っぱちだということが実感できるではないか。ましてや江戸時代のこと。
産業革命から科学技術はすこぶる発展してきているが、人の方は遅々として変わらぬようだな。
なんせ縄文時代は一万年間ほとんど人々は変わらぬ生活を送っていたというではないか、一万年ですよ。
話が迷走してしまった。
許されよ。
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