2019年12月15日日曜日

「歴史を記録する」吉村 昭 を読んだ その5

河出書房新社 2007.12
対談集。

 ここの対談は現在から将来に通じる。

○元禄以降は公共投資に税金を使わなかった。

吉村 このあいだ大石慎三郎さんの書いているものを読んでいたら、元禄時代までに幕府は道路や港湾の整備を完璧にやっちゃったというんですね。すると、今度は税の取り立てを緩めて、いまでいう減税をした。藩もあまり徴収しなくなった。その結果、商人が力をつけ、庶民も豊かになってゆく。

 幕府は、元禄時代までは橋をつくったり、街道を整備したり一生懸命にやってます。でも、そのあとは何もしていない。その代わり、道路は大切なものであるということを教えるわけ。だから、街道では大八車を走らせなかった。

半藤 江戸の町では走ってもいけなかった。下駄を履いて走ったら、道を大事にしない不届き者といわれた。例外として許されたのは飛脚と火消しぐらいです。

吉村 街道を大八車は通れないというのは『生麦事件』を書いてわかったんです。荷は牛や馬の背に載せて運んだ。当然、牛糞や馬糞が落ちるわけですが、街道沿いの住民がそれを畑のほうへ放り投げてきれいにし、そのあと水を打った。ところが、戊辰戦争のとき、西軍が武器や弾薬を大八車で運んだから、街道がメチャメチャになっちゃった。

半藤 そうか、道を大事にするという発想から華道とか茶道が生まれたのではないか。みんな「道」がつく。県道や柔道と呼び出したのは最近の話で、昔は剣術、柔術でしたからね。

吉村 元禄時代に公共投資が終わったあと、藩校が全国各地にできて、文化活動が盛んになる。

 いろいろおもしろい対談なのに、これらの内容が世間一般に広まらないのは何故なのか?
広まりだせば一気にそうなるものなのか?

 ジジイが知らなさすぎるのか?
うーん、わからん。


0 件のコメント:

コメントを投稿