2018年7月31日火曜日

windows10をバージョン1803にアップデートした

MacbookPro2011 BootCamp5 16GBの環境。

 アップデートをしていたら、1803のアップデートが入ってきた。
アップデートファイルをダウンロードするのに2.5時間程度、
インストールするのは45分と短かった。

 今回もカーソルキーの上下が逆になってしまったので、
その修復をしただけで、他は問題なさそう。

 新機能がいろいろあるらしいが、どれも興味がないので試してない。
以前のバージョンでは、
ファンクションキーの画面の明るさ調整F1,F2、キーボードの明るさ調整F5,F6がダメだったが
今回のバージョンで正しく動作するようになった。

 知ったようなこと言って申し訳ないが、
肥大したOSは自滅の道を進んでいるとしかおもえないな。



2018年7月30日月曜日

星夜航行

新潮社 2018.6.
飯嶋和一 著

 ふぅ~、昨日の夕方、読み終わった。
著者はおもいっきり、精根尽き果てるまで物語り、
一読者のジジイはどっぷりハマって一気に読んだ。
おもしろかったな。

 主人公 沢瀬甚五郎は実在の人物らしい。
動乱乱世の世、ブレずに生きた。

 彼は史実に残る機会を得たが、己の道を歩みきり
そうでなかった人たちもたくさんいたのだろうとおもう。

 登場人物は千人を超えるだろう。
数えてないので嘘かもしれない。
とにかくたくさんでてくる。
しかし、それほど頭の中は混乱しない。

 本の帯には短評があり、ネットにはさらに長い論評がある。
ジジイのわたしには、そんな小難しいことはどうでもよい。
長いながいはなしを、ただひたすらに読み続け楽しんだ。
それで満腹、あーうまかった、っていうところだな。


2018年7月29日日曜日

ネット広告イライラ対策

 怒ってばかりではなんの解決にもならないので、対策をした。
わたしの環境はmacOSなので、
下記のサイトにお世話になりました。ありがとうございます。

http://bakakaomaeha.com/archives/48




 うん、これでアマゾン・グーグル・楽天がでなくなった。
しかし、このフィルターをくぐり抜けてくる広告がある。
これらはどうやってカットするんだ。
調べてみるか。

 ついでに、Firefoxもしばしば使うので、同じようなアドインをした。
こちらも広告が著しく減った。

 でも、これってやはりいたちごっこだな。
ウイルス対策とおんなじだ。

まぁ、しばらくはこれで、めでたしめでたし。



2018年7月28日土曜日

ネットの広告がイライラ

 以前はこんなに多くはなかったのに、
ネットの広告のしつこさと多さに不愉快をとおりこしている。

 イライラその1。
ただでさえ15インチの狭い画面なのに、数件の広告がその面積を占める。
見たいところの面積が少なくなるだろうことはわかっているのに、ひどいことをするもんだ。
長方形画面の下側に出す馬鹿な会社広告もある。
縦方向はただでさえ短いのに、その貴重な幅を狭める。
許せん!

 イライラその2。
PCの場合はテレビ・ラジオとはわけが違う。
機材を購入して電気代を支払うまでは同じだが、PCはネットへの接続料を支払っている。
安くはない。むしろ高い。
ネット情報を流している主幹まで、個人宅から工事をして接続をしているのはわたくしなんですぞ。
広告を遮断するアプリはあるが、そんなのは本末転倒ではないか。
許せん!!


2018年7月27日金曜日

ようやく熱波もひといき

 ジジイが住居とする埼玉西部、ようやく一昨日より熱波が収まりつつある。
猛暑のときはエアコンのない部屋では39度、外はゆうに40度を超えていた。
それが昨日は28度、今朝は今のところ涼しい風が吹き、エアコンはオフ。
また、一昨日夜は猛烈な豪雨が断続的にあった。
それから一気に気温が下がった。

 昨日夕方は、南側の庭の雑草を刈った。
心臓はなんとか大丈夫でよかった。
汗だくになるとやはり気持ちいい。

 気温がこのまま低めなら、西側の庭も草刈りをしよう。


2018年7月26日木曜日

アメリカ彦蔵自伝1 東洋文庫13

平凡社 1964.2
浜田 彦蔵 著

 先に投稿「ペリー艦隊黒船に乗っていた日本人「栄力丸」十七名の漂流人生」をした。
この本は、この乗組員彦蔵の自伝である。

 いやはや彦蔵はあのリンカーン大統領にも会っていたのだな。
リンカーン大統領の執務机での所作や様子を記述しているところがある。
浮かぶ映像はなぜか白黒だが、とても身近に感じることができる。
文章が実際の映像を上回ることもあるのだな。

 同じような映像がそういえばあったなと思いだした。
三浦按針ことウイリアム・アダムスが、家康と会見したときのこと、
家康の様子をかいている。
一段高いところに座っていて、微笑みながて手招きしこちらへきて座れとしているところだ。
こちらは総天然色でキラキラしている。

 ゆく先々で彦蔵はアメリカ人の世話になる。
これでもかというくらいである。
もちろんひどい扱いを受けたこともあったが、
単なる親切をこえて、教育を受けさせてくれたり
彦蔵自身の独立を援助する手助けをしてくれている。

 なんの見返りも求めず、年月を経て再会すれば喜び、
家に泊まっていけと以前と同じ様に愛情深く接する。必要があれば推薦状や紹介状をもたせる。

 アメリカ人たちのこのようなたくさんの援助こそが、
開拓精神というものの別面なのだろうかとおもう。
独立である。
自分の道を拓く。
それらの何から何までが自分ひとりでできないことも多い。
手を差し伸べることができることは、おしみなくする。

 この自伝の中に、さきに投稿した「幕末横浜オランダ商人見聞録」で取り上げたと重複する記事がある。ゴールドラッシュと横浜のゴロツキについてである。

「横浜での諸問題」というところにでてくる。
「この地で貿易ができるようになって以来、外国の商人や取引業者たちが、清国の諸港やその他の土地から横浜へなだれこんで来た。」

 幕府は横浜移民へ、保有する土地は三年間無税たるべしなる御触書で優遇するのだが、れっきとした人びとはほとんどその勧誘に応じなかった。
やってきたものは、単なるひと旗組や投機師という手合だった。
「噂によれば、こうなったのも、れっきとした人たちは外国の『野蛮人たち』つまり、
彼らのわけの分からぬ言葉、奇怪な異国じみた物腰、と接触するのをこわがったことによるのだそうである。」

 ゴールドラッシュについては、両替問題とあわせて再三、記している。

 下関での長州藩との大砲の打ち合う戦闘の様子は生々しい。
彦蔵の乗船した船も被弾し死傷者がでている。

 この自伝は、彦蔵が見たもの経験したことを淡々と記し重ねていく。
特に深い考察もない。
だからなおさらカメラをまわし続けたように編集もさほどされてなく時代をうつしている。
貴重な自伝である。


2018年7月25日水曜日

幕末横浜オランダ商人見聞録  その2

 コーニング氏はこの日本のゴールドラッシュの真っ只中で、貿易を行っていた。
氏はその狂乱ぶりを詳しく記している。
彼の記述を借りるのが一番正確というものだろう。

・開港当初、金価格は世界他地域の価値(金銀比価)の三分の一だった。
・銀貨を持っている人は金貨でその倍以上を買い戻すことができた。

「ゴロツキの宝探し人はこのことで生活していた。しかし、この状況は長く続かず、2ヶ月も経つと日本から最後の金貨が消え、それとともにゴロツキも姿を消した。」

 先に投稿した「逆説の日本史 18幕末年代史編 1」の著者は
この金銀比価について、たくさんの図を用いて丁寧に説明している。
そして、日本にとりかえしのつかない莫大な損失を及ぼしたと
非常に憤慨し訴えている。

 ところがである。
その狂乱の真っ只中にいたコーニング氏は、精査な分析を報告したあと、
次のように述べている。
「日本からすべての金貨が輸出されてしまったことで、日本人にたいして過度に同情する必要はない。彼らは金で損をした分、のちに外国人に高利貸しして銀で充分に取り返すほど賢くな」り、
いかにこれを成し遂げたかを、第7章冒頭で詳しく記している。

 情けないかな、ジジイのわたしはこの箇所を何度も読み返したのだが、
短く要領よく説明することができぬ。
明らかに能力不足を痛感する次第である。
興味のある方は是非手にして読んでほしい。



2018年7月24日火曜日

幕末横浜オランダ商人見聞録  その1

河出書房新書 2018.4.30
C.T.アッセンデルフト・デ・コーニング 著
東郷えりか 訳

 古い本かとおもっていたら、数ヶ月前に出版された本ではないか。
原著はオランダ語なので誰も翻訳しなかったようだ。
英訳されたものを日本語訳したというわけ。

 開港されたばかりの横浜の姿を生き生きと描いている。
ただ、教養と学識あふれんばかりの著者があちこちで引用する言葉がわずらわしい。
また、一つの事柄を内省的に文学風に著述されているところも少々うっとおしい。

 しかし、横浜での台風・地震・火事・自警団・詐欺など様々な出来事の記述は
前記の不満な部分を補ってあまりある。
そのなかで二つの事柄をあげる。

 一つは、開港されたばかりの横浜の様子。
「最初の数ヶ月間に横浜に住み着いた開拓者たちのじつに多くが、ヨーロッパでは決してみかけないようなタイプの寄せ集めで、アメリカの『最西部』や南米のパンパスで羽振りを利かせているような者たちだった。」
西部劇に出てくるガンマンがゴロゴロしてたのとそう変わらなかったのかしれない。
ごく些細なことでも
「長いナイフや拳銃を取り出していたので、これらは最も危険な連中だった。」
横浜開港間近にこんな連中がのさばっていたなんて知らんかった。


 さらに、もう一つのタイプとして
「文明社会の寄生虫と呼べるような男たち」であったという。
それにしても、なんともすごい表現で著者のどうしようもない気持ちと感情が冷静に爆発している。
彼らは、
「世界の大都市からの堕落した紳士たちだった」
で終わるかとおもったら更に続いて、
「王侯のように飲み食いして、自分以外の誰かの費用で、その日暮らしを送っていた。」
なんともはや、無頼漢以下だな。

 本書にも写真はあるが、資料としては横浜の開港直後や賑わいの写真は比較的豊富で、写っている人たちはお決まりのスーツを着ておさまっている。ゴロツキたちの写真も見てみたいが、著者はそのうちの一人の風体の様子を詳しく記している。写真はなくともこれで十分かもしれぬ。

 彼らはなぜ日本来たか。
アメリカ西部で金鉱が発見されるや、大勢が押し寄せたゴールドラッシュがあった。
日本の開港直後にもゴールドラッシュがあったのだ。
彼らは、これをめざした。

つづく

2018年7月23日月曜日

ペリー艦隊黒船に乗っていた日本人「栄力丸」十七名の漂流人生

徳間書店 1990.4
足立 和 著

 中味の重い深い感動する実話である。
わたしみたいにちょうどこの時期の日本人の漂流記やまたは遣米使節団などの話、
諸外国からやってきた異国人の日本記などを読み漁っているものにとっては、
それらの経緯を知っているだけになおさらである。

 よくもまあ、これだけの話をこの程度の厚さにおさえたものだとおもう。
もっと詳しくしりたかったら、
巻末の参考資料などをたよりに個別に読みなさいということだろう。
この本の厚さと、無言のそういった配慮がうれしい。

 中浜万次郎ことジョン万次郎は有名だが、この本に出てくる彦蔵はそうでもない。
この彦蔵、日本人でアメリカ市民権をとった第1号である。
それも自分からそうしたくて市民権を得たのではなく、お世話になった人に勧められ説得されて受け入れている。後々、このことが人生を大きく広げることになるとはこれっぽちも当人は思っていなかったようだ。

 書きたいことはたくさんある。
でも今は、この本を一人でも多くの人に読んでもらいたいと願うばかりである。

 なお、ネットに接続できるならば下記アドレスで概要を読むことができる。
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/1796/1/40-3-4miyanaga.pdf

 また、国立国会図書館デジタルコレクション内にある「異国漂流奇譚」(昭和2年出版)では全文を読めるし、ダウンロードも可能です。

2018年7月22日日曜日

逆説の日本史 18幕末年代史編 1 その2

 しかし、10ぺんぐらい繰り返している黒船に戻ると、
井沢氏も取り上げている異国船については、
当時のオランダ学者など知識人の間では十分に知れ渡っていたし、
そのうち開国を迫る船が現れるであろうことはこれまた予想されていた。

 実際に異国船をみた漁師たちもたくさんいた。
それらの伝聞はあっというまに浦々や村へひろまった。
たくさんの古文書が残されている。

 大衆にあまねく知れ渡ってはいなかったということは
やはり知らなかったということと同じようなことだという見方もあろう。
だが、北海道から本州太平洋沿岸、南の島々で実際に見たり難破船を救助している人たちがたくさんいるのだ。幕府や領主、村役人がいくら口外禁止を叫んでも、口伝えに噂が広まることは止められなかった。

 だから、黒船については
いきなりあらわれたと衝撃をうけた人たちもいただろうし
とうとう来たかという人たちもいた、というのが正確な表現になるはずだな。
まぁ、井沢さん、黒船モナカ食ってお茶飲んでもう一度考えてみてください。

 扨、愚劣で無能な幕府も、江戸湾にお台場を作ったり、日本各地に同様のものを作った。
川越藩や会津藩などに命じて沿岸防備もさせた。
何もしなかったわけではないのだ。
大火事をジョウロで消火しているようなものだが。

 さらに、浦々の名主役人共を通して、異国船を見たら直ちに告げるべしと徹底させている。
この徹底ぶりは凄まじく、漁師の家々でも代々引き継がれてきていた。
例えば戦前、海軍の街、横須賀では沿岸に飛行機が不時着したときや軍船が座礁したときなど、
第一報はほとんど漁師が発見し、郵便局などに駆け込んで電信で知らせていた。

 その程度しかしなかった、できなかったというのがこれまた正確な記し方だとおもう。
日本の外交は無能だが、江戸時代からずっとその悪しき伝統を引きずっているということだな。

 どうしてよいか名案など思い浮かばんが、選挙で変わることがないというのは事実。
この先もかわらんだろう。
衣食住足りてなんとか暮らして行ければよし、ということなんだろうな。

おわり


2018年7月21日土曜日

逆説の日本史 18幕末年代史編 1 その1 

小学館 2012.3
井沢 元彦 著

 「逆説の日本史」シリーズがあることを、この本を手にしてはじめて知った。
この本のあとにも数巻新刊されているから、いまのところ全部で21巻は超えているか。

 読みはじめて、少しして、この書き手とは肌があわんとおもった。
しかし、ジジイの読書鉄則は一度手にした本は最後まで読むである。

 我慢して頑張って読めば読むほど活字が煙たい。
何がそれほど合わないのか。

 下世話な言葉で言えば、いちいち鼻につくのである。
文章全体も、いろいろ憤ることもあろうが、抑えがきかない。
もとがジャーナリストなのか、その線をブレずに書き進めればよいのに、
あちこちに脱線する。
括弧書きも多すぎる。それほど多用するなら、それは書き手の文章作成力の不足なのにな。

 日本の既存の歴史家と称する人たちが許せないらしく、盛んに罵る。
そういう歴史家もいるだろうがそうでない方たちもいるのにである。

 黒船がいきなりやってきたと日本国民全員が思っていること、
思わされていることも許せないようだ。
横須賀名物黒船モナカでも食って頭を冷やせといいたい。

 井沢氏の言いたいことはよくわかる。
幕閣が何年も前から知っていたのに、なんの対処もしようとも思わなかった。
さらにひどいことにはなお一層かたくなに祖法を守るの一点に閉じこもってしまった。
無策無能であった。
幕府は滅ぶべくして滅んだ。

 それらの体質は、その後明治大正昭和と引き継がれ、日本は破滅を招く。
あれだけのことを起こした日本国が亡くならなかったことは奇跡以上のことだろう。
だが、それらの体質は現在でも改まっているわけではなく、なんら改善されていない。
原発問題・領土問題・国家予算破産の危惧・人口問題などなど殆どが泥縄というわけだ。
要は、議論はすれども実践なし。

つづく


2018年7月20日金曜日

黒船が持ち帰った植物たち

アボック社出版局 1996.11
小山 鉄夫 編著

 地味な本です。
でも、学術研究とか学問は、こうやってコツコツ地味な積み重ねで
門外漢には、一体こんなことやってなんの役にたつのだろうということが
ほとんどだとおもわれます。

 黒船が持ち帰った植物の写真が豊富にあります。
ちょっと感動します。
道端や神社などの森の際で摘み取り、大事に持ち帰り、標本を作る。
少しでもその作業をしたことのある人ならば、
それらの標本を見て、当時の日本の草木の風景を想像できるでしょう。

 本の間にそっと挟んでおいた押し花、
何年か、何十年かたって、ふっと手にしたその本から押し花がでてくる。
当時のことが次々と頁をめくるようにあらわれる。

 標本は標本という役目だけではなく、小さなタイムマシンです。
それらからは当時の風景だけでなく、そこから風がそっと流れてくるような気さえします。

 ユキノシタがあります。
採集地は下田です。
まるで蝶の羽を展翅するかのように、葉を大きく広げ標本にしています。
潮の香りがするのでしょうか。

 植物や化石と語り合うことができれば、
たくさんのことを教えてくれるのではないかと、いつもため息が出てしまいます。


2018年7月19日木曜日

ニホンウナギ クロマグロ サンマ

 3つ美味しそうなものをあげたが、他にもまだまだありそう。
どれも、このまま採るだけとってこの状態を続ければ絶滅一直線確実らしい。

 クロマグロは先日NHKが飛島周辺で産卵行動らしいクロマグロの集団を世界初で確認したというのをやっていた。なかなか見ごたえがあり圧巻だったな。

 ニホンウナギはようやく南の方の海域でココらへんが産卵場所じゃないかというところが見つかっている。それにしたって、あんなニョロニョロしたものが大旅行して日本にやってくるのだから、
すごいことだな。うなぎに道中の話をきいてみたい。

 サンマってどうなのだろう。
産卵場所とかすべて把握しているのかなぁ。

 産卵場所やその生態の全てを知らないのに、成魚を採りまくって食い放題をしてきたなんて、
土台のんきな無謀なことをしてきたもんだ。
成魚や幼魚の観察と乱獲禁止で調整することしかできなかったからな。
ニシンがとても反面教師でよい例じゃないか。

 ジジイがいいたいことは、日本はもう食わんでもよろしいということだな。
さんざん食いたいだけ食ってきたのだから、これ以上よくばらんことだ。
食うものは他にもあるのだから、それらを食えばいいじゃないか。

 今度は中国・シンガポール・マレーシア他豊かになた国々が食う番だ。
日本は漁獲制限など先達のノウハウを会議に参加して、調整進行する。
それが食い放題をしてきた国の責任ってもんだ。


2018年7月18日水曜日

雲母漬(きららづけ) 穂野出

 てっきり、漬物が何種類か細かく刻んで入っていて
それらがキラキラするから、この命名になったのかとおもいこんでいた。

 能書きを読む。



 なるほど。
この漬物の諸材料はいっさい関係がなかった。
由緒ある坂道の名前が雲母坂といい、
その途中にあった茶屋で出していた「みそ漬」というわけだ。



 母に食わせたいな。
小茄子が大好物なんだ。

 おせっかいは百も承知。
小さなプリン容器くらいの入れ物に入れて、販売したらどうだろう。
価格は200円(税込み)。京都駅の駅ビルでバンバン売りまくる。
大丈夫、外国人にもうける味。
でも京都弁で軽くあしらわれそうだな。
「うちはほそくながくが家伝どすぅ、そなぁみっともないことできまへん」

 でででもですねぇ、そうなんでしょうけど、
小分けにパックしたものを商品に加えれば、
食べるたびに新鮮なものが食べきることができるので、考える余地はあるとおもうんですけど。


 ところでジジイのおもいこみには訳がある。
子どもの頃、何度も母の実家にあずけられた。
その家より子どもの足で往復40,50分のところに白扇という酒蔵があった。

 正式名は酒造会社「藤崎そう兵衛商店」、ネットで確かめてみるとあれれ経営難で
埼玉県寄居町の本店は取り壊しになっていた。
2018年7月より長瀞で再営業とある。

 そこのお店は酒だけでなく、奈良漬も扱っていた。
その奈良漬を作る過程で、でた落としや他の野菜を細かく刻んで
酒粕で奈良漬風にしたものがあった。

 奈良漬よりおいしく好きだった。
地元の人は勝手に「ダイヤモンド漬」とよんでいた。
母の実家の家族だけがそうよんでいたのかもしれない。
白い酒粕の中で漬け込まれた細かい野菜がキラキラ輝いていたからだ。
奈良漬は酒が完全にとんでないが、
ダイヤモンド漬は酒粕の香りと甘みだけで子どもにもやさしかった。

 雲母漬はまだ冷蔵庫に残っている。
白米はもちろんだが素麺でも蕎麦でもうどんでも合う。
旨い。



2018年7月17日火曜日

蝉抜け殻 第2弾

 早朝ゴミ出しをしてから、車の周りをぐるりとひと回り点検してから家に入ることにしている。
いつものようにして、家に戻りかけてオヤっと気づいて戻って再度目を凝らしてみると、
前輪タイヤの中程に異物を発見。



 ジッと見ると、抜け殻ではありませんか。



 なんでタイヤなんかにつかまって、飛び立つの。



 それに、タイヤの下はコンクリートだよ。
ってことは、タイヤのとこまでトコトコ歩いてきたことになる。
一番近いところにある土はここだけだし、
土から出て、つかまるものなんていくらでもあるのに、どうして?



 不思議だな。

 この蝉の抜け殻、割れた部分から糸状のものが出ている。
今朝たまたま見た、「タケオオニイニイセミ」のものににているぞ。
中国からの外来昆虫なんだって。
6年間竹やぶの土中で、竹の根っこの汁をすって生きるということだ。





2018年7月16日月曜日

気温40度になるらしい

 ここ数日は猛暑で警報がでている。
ジジイの住処は埼玉県は飯能市の周辺、標高は200m。

 冷房を入れてない東側の部屋は日中、34度が連日続いている。
居間は26.5度の設定で、実際の気温は27度から27.8度になっている。
これで居間が涼しく感じるのだから、外は相当に暑いということになる。

 ただ、ジジイになって感覚が鈍くなっているせいか、
以前ほど湿気のベタベタ感をそれほど感じない。
標高がそれなりにあるからかもしれない。

 夕方、5時を過ぎて、北側の寝室のエアコンを26度設定でONにする。
10時過ぎに寝るときOFFにする。
これで朝まで、特に暑さで寝苦しくなって目がさめることもない。

 洗濯物は半日もたたずに乾く。
いいことはこれくらいか。
熱暑、気をつけねばな。


2018年7月15日日曜日

幕末日本探訪記

ロバート・フォーチュン
三宅 馨 訳
講談社学術文庫

 「第十四章 日本歴史の一頁  古都鎌倉の旅」の 食後のひる寝 のところを抜き書く。
「出発前に昼食を注文しておいたので、帰ると十分な御馳走が待っていた。この海でとりたての上等な魚を、日本の醤油で調理してあったが、実に美味であった。それに精選した白米にオムレツ、これは少々甘すぎたが、とにかく、すこぶるうまかった。宿の井戸から汲み上げたうまい冷水に、持参したブランデーを混ぜて、喉に流し込む。われわれは日本酒よりもやはりブランデーを好む。鎌倉の宿には、西洋の食卓に見られるナイフ、フォークのような幼稚な食事用具はなかった。
・・・
食事の間、宿の女中が給仕をしてくれた。強いて正直に言えば、彼女たちは取り立てて美しくはなかったが、親切丁寧に、われわれの望み通りに働いてくれた。」

 眼の前の食膳が目に浮かぶな。
新鮮な魚の煮付けに、卵焼きだろう。
うまそうだ。

 ブランデーを冷水で割っている。

 ジジイは若かりし頃、フランスに遊学した。
お世話になった主人に1800ウン年もののブランデーを御馳走になったことがある。
主人うんちくをたれ、
「わたしの父や爺さんからなんべんもきかされてきたことだが、
ブランデーは決してわってはいかん。
こうやって手の中でころがすように、香りがたつように楽しむんだ。」

 現地で見聞するに、南フランスなどでは
赤ワインを水で割って飲むことはいたって普通のことだった。

 イギリス人であるロバートさん、
きっとブランデーもそんな感じだったのかもしれぬ。

 ところでこの本、とても読みやすい。
偏見なく物事を見ている。
文章の組み立ても上手でおもしろい。
幕末に訪れた外国人の探訪記はたくさんあるが、
それらのなかでもまちがいなく上位にはいるものだ。


 晩年は本国で、手持ちのアジアの骨董品や珍品を売りながら
悠々自適な生活だったらしい。
1880年没。

2018年7月14日土曜日

ミシン油 続き

 なにもネットに頼ることはないと、気づいた。
我ながらにぶい。

 この街は、かっては生糸や絹織物や裁縫業などが盛んだった地域だ。
こんな小さな町や商店街に2軒もミシン専門店があり、修理も行っている。
そこの店にミシン油がないわけがない。
そんなことに気づかなかったのだから、ジジイはメゲル。

 一軒目で手に入れたのが左側のもの。



 メーカーも何もわからない。
容器には「刃先専用」とかかれているだけ。
200円。
高いといえば高い。

 2軒目のが右側のもの。
サンランドオイル。

 こちらの店は商店街にあって、店内は広く、
入り口のところにはかっての足踏式ミシンが何台も中古販売されている。
なつかしい。

 「武田ミシン」というお店です。
一見隣のお店の交差点脇に駐車場が2台分あります。
昔の足踏式のミシンをみるだけでもお店に立ち寄る価値があります。

 こっちは、ネットでも販売されていて定番のようだ。
こちらのお店では缶入りの大きなミシン油も販売している。

 さて、これだけミシン油が手に入れば当分は安心安心。
めでたしめでたし。


 と、ここで終わる予定でしたが、昨日ホームセンターが特売開始日だったので行ってみた。
機械油各種や油差し何種類も棚を埋め尽くしていた。
ミシン油も100ml¥198円と安い。
以前からこんなに充実していたのかどうか記憶に無いのだが、
まぁ、結構なことです。


2018年7月13日金曜日

ようやく蝉がなき始めた

 今日は7月13日金曜日。
明け方にひぐらしがないていた。
カナカナカナって、明け方は陽が昇るまでのごく短い時間しかなかない、実に正確だ。

 数日前にはミンミン蝉がきこえた。
アブラゼミはまだだ。
抜け殻はあるんだけどな。

2018年7月12日木曜日

草刈りシルバーさんたおれる

 昨日昼前、今年はじめて隣接する山に草刈りシルバーさんが入った。
買い物にでかけ、帰宅してみると我が家周辺が救急車やかけつけた車両で騒がしい。

 お隣さんが緊急事態かとおもったが、
しばらくして、シルバーさんが熱中症で救急を要請したようだ。

 草刈りは中断され、引き上げていった。
無事に回復されてることを祈るばかりだ。



 今朝一番、昨日の続きを同じメンバーで作業を始めてました。
熱中症の方も回復し一緒に作業されてます。
よかった、よかった♪



2018年7月11日水曜日

賢い人達

 もう何年も前にみた番組で、
日本の子どもたちの夏休みに合わせて、ニューギニアかその付近の電気ガス水道などない山奥の自給自足の家族を日本の家族に招待して一緒に暮らすというのがあった。

 山奥から出てきた家族たちは何から何まで初めての経験続き、
一緒に暮らす日本の家族も最大限のおもてなしをしてこれまた、驚くことたくさん。

 ニューギニアに帰国する前にお土産を選んでもらうことになった。
一家の主は農作業や草刈りに必要な鎌を購入した。
そして、それを手入れをし研ぐための砥石も買った。

 刃物を研ぐために砥石をいつも使ってたのだろうか。
鎌とセットで砥石を買う、なんでもないようだが
なかなかできることではないようにおもう。
未来のある人達だとおもった。


2018年7月10日火曜日

ミシン油

 母が足踏み式のミシンを使っていた頃、
手入れのために油をさしていた。
さして良いところと、さしてはいけないところがあり、ミシン屋さんから教わったそうだ。

 その油差しがまだ母の手元にあるかどうかは確かめていない。
多分あるとおもう。

 ネットでその油差しを探してみたらあった。
無断で画像を拝借、申し訳ありません。
これです。



 油を補給するときはこんなふうに差し口をはずして入れます。
使うときは、半球状の底をペコペコ押します。



 何から何までなんでもCRCじゃ、いけません。
ところがホームセンターでは昔ながらのミシン油、つまりマシン油が展示販売してないのです。
注文すればよいのですが、めんどくさい。

 となるとネットで買う、となります。
ホームセンター、刃物をたくさん扱っているのだから、
それらを手入れするためのものも販売しなくてはいけないのに、
使い捨て感覚で刃物を販売しているのだろうか。
砥石はいろいろ売っているのにな。



2018年7月9日月曜日

蝉の抜け殻

 発見。



 アマリリスの葉の裏とは意外なところでした。
ということは6年前後も、このアマリリスの下に生きていたということか。
なんかすごいな。



 蝉になると1週間くらいで死んでしまうと言うけど、
地下にいるときからすれば6,7年生きているのだから
この種では長生きになるんじゃないかね。

 それにしても、蝉の鳴き声が聞こえん。
それともジジイの耳鳴りがひどくなっているのかも。


2018年7月8日日曜日

レモンバームの根っこ

 昨日、引っこ抜いた。
庭のあちらこちらに生えてくるようになって数年、たまに抜いている。
とても元気がよく手間も何もかからない。
なのでほっておくとしっかり根付く。

 こんなに根が深く細かくはっていた。
丈夫なわけだ。



 お茶と同じようにしてときたま楽しんでいる。

2018年7月7日土曜日

アレキサンダー・グラハム・ベル

 ウィキペディアで調べてみた。
電話を發明した人というぐらいのことは知っている。
でも、それしか知らなかった。

 聾教育をする中でヘレン・ケラーにサリヴァンを紹介したのは彼だったとは。
母親は彼が子どもの頃に難聴になり、妻は聾だった。
当時の聾教育の中で彼は手話には反対の立場で、
また聾は乗り越えるべきものとして優生学的な立場にいた。

 今から見ると、なんて複雑な根の深い位置にいたのだろう。
だからといって彼が決して差別的立場であったことはない。
また晩年、書斎に電話を置かなかったという。
息を引き取る直前、彼の最後の言葉は妻へ「NO」の手話だった。

 こんなにジッと考え込みながらウィキペディアを読んだのははじめてかもしれない。
ふぅ〜。


2018年7月6日金曜日

介護保険被保険者証

 昨日届いた。
65歳の誕生日を迎える頃に郵送されてくるらしい。

 こういうものをもらうと、ありがたいことには違いないが
なんか一層ジジイになった気がする。

 ジジイが子どもの頃は、50をこえると爺さんの仲間入、65歳なんてもう立派な爺様だった。
ババアや婆様はどうだったか、ちとおもいだしてみたが、わからぬ。

 今日は一日中雨らしいが、気温はさほど暑くもなく、湿気もそれほどでもない。
気温や湿度もジジイになって、鈍ってきているのだろうな。


2018年7月5日木曜日

ムカデ

 今年は例年になくムカデが出没する。
玄関にいたことがあった。
ドアの隙間から侵入したとしか考えられぬ。

 靴の中にいたときにはおもわず声をあげてしまった。
足を入れて何か変な感じなので脱いでのぞいたらいた。
刺されなくてよかった。


 部屋では大抵、居間の窓まわりあたりから出る、時間は夕方以降が多い。
昨日はつぶして殺した。
その現場は濡れた紙でよく拭き掃除したつもりだったが、
今朝、そこのところに何か得体の知れない黒い見たこともない
ゴキブリみたいのがとどまっていた。
見たこともない黒いコオロギみたいな奴だった。
気味が悪い。

 かなり速い動きで逃げる。
掃除機で吸い取った。

 ムカデ退治や侵入を防ぐため、
何か良い方法がないかをネットで調べたが決定打はなさそうだ。
うーん、困っている。

2018年7月4日水曜日

台風7号が日本海を北上中

 のせいかどうか、小雨が降ってきた。
現在9時前。無風。
どの部屋も窓は全開で、吹き込む心配はなさそうだが・・・。

 おや、でも南風が吹いてきた。
さてどうするか。


 昨日夕方、年金請求書のお知らせが届いた。
65才からの受け取りを希望するか年金の繰り下げを希望するかの請求提出を出す。

 繰り下げると最大42%の増額された年金を生涯にわたり受給できますと
おいしいはなしが記されている。

 まだまだ働いて稼ぐことができたり、
現在の資産で普段の生活をまかなってゆくことができるのなら、
毎年の様子を見ながら、繰り下げる選択肢をとる。

 しかし、ジジイの今はそうではない。
健康に問題があり、この先は不明である。
貯金を取りくずしながら、高齢の母にも仕送りをして、スレスレの生活なのだ。
結論は考えるまでもない。
もれのないように記入し、郵便切手62円を貼り、投函する。



2018年7月3日火曜日

早い梅雨明けの勘違い

 梅雨があけるころはちょうど一学期の終業式や夏休みが始まったりして
子どもたちがうろうろする。
そのためか世間もなんとなく夏休み気分になる。

 最速梅雨明けのせいでジジイの感覚はもう夏休みになっていて、
実際の世間の流れと違和感を感じている。
ジジイは毎日が日曜日・夏休みだから、そんな感覚のズレはどうでもよいことなのだが
やはり、なんか変な感じだ。

 現在8時35分、今日はもう風が吹き出している。

そうそう、もう一つ。
今年はまだ蝉の声が聞こえぬ。
どうしたことだろう。


2018年7月2日月曜日

海風 陸風

 この2ヶ月間くらいになるだろうか、
風の吹き方が規則的です。
朝は微風ですが、昼ごろからけっこう強風が吹き荒れ、夕方頃から収まって
夜にはほどほどの心地よい風になる。
ジジイの生活しているところは山の中。
ここに住んで10年近くになるけど、今までこんなことはなかった、ような気がする。

 沿岸部ならば昼間は海風、夜になると陸風が定番だけれど、
ここは山の中で、なんか気象学的に山岳部における風の吹き方のようなものがあるのやもしれぬ。

 例年とは風の吹き方が異なるようなので、今年の気圧配置が特別なんだろうか。
そういえば、梅雨明けは統計を取り出してから最速の6月29日だったしな。

 熱暑で庭の雑草が枯れることを祈る。


2018年7月1日日曜日

庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし その8

第8章 村入用・生活費・物価
・村入用の分析
・年間の生活費
・諸物価の推移と比較
・奉公人および職人の給金・賃金について

 著者ご自身の調査研究結果だけでなく、すでに発表されている書籍も参考にされ、
一覧表で整理してあり、わかりやすい。

 現資料の一つとしてあげられている、「桑名日記」「柏崎日記」については知らんかった。
有名な資料みたい。
ちょっと調べてみると、たくさんの方が研究されていて小中学生むけ書籍もあるようだ。

 「柏崎日記」書き手の渡辺勝之助が仔細にかきとめた家計簿がとても役にたったという次第。
此の二つの日記は今で言う交換日記なのですが、筆まめな二人がそろわねばできなかったこと、
なかなかです。

 平和だった村も、この後日本全国の村々と同様、怒涛の時代をむかえる。
戦争することが先進国に追いつき植民地を持つことで
それらの国の仲間になると勘違いしたのか、
維新前後の混乱、日清日露第一次二次世界大戦と国土はめちゃくちゃになった。
よくもまぁ、日本という国が残ったものだともおもう。

 そしてこのような日記が残った。
数代にわたるご子孫の苦労はいかばかりであったか、老いぼれジジイには想像もつかぬ。
今このときにこういった書籍やそのもとになる古文書など読むことができたことに感謝だな。