2018年6月11日月曜日

名主文書にみる 江戸時代の農村の暮らし

(株)雄山閣 2004.12
成松佐恵子 著

 現在の福島県二本松市、かって二本松藩であった農村の様子を、
いきいきとよみがえらせ物語ってくれてます。

 岳温泉にとまり、スキーをしたことがあります。
東北道ができてからは、安達太良PAでよく休みました。
此の本を読みながら、あーあの辺の村の話なんだなと
真っ白な安達太良山を思い浮かべました。

 監督成松佐恵子の実録ドキュメンタリー映画を一本見終わったという感じだな。
子どものころ白黒テレビだった頃「明るい農村」というNHKの番組があったけど
江戸も昭和も農村ではそれほど革新的な変化はなかったのかもしれない。

 成松氏は様々な角度からこの農村に光をあて詳細な分析や当時のことを語っているのだけれど
そのなかの一つを紹介させてもらいます。

 改名についてです。
ある村で出生から死亡まで確認できた男子681人女子578人のうち、死亡に至るまで追跡でき、
しかも結婚を経験したのは174人。女子は77人。(どうして女子はこんなに少ない?)
男子について、
生まれた時の名前のまま一度も変えなかったものは6人、
1回と2回の改名がそれぞれ57人ずつで改名者の66%になり、
さらに多いものでは5回が3人、6回が1人となる。

 回数はともかく改名した男子は97%になるのだから、改名するのが普通だったことになる。
成人して子ども時代から区切りをつけたり、家督継承し代々の世襲名や由緒ある踏襲されてきた名を引き継いだりするという慣習があったことがわかる。(女子の改名はどうだった?)

 「人別帳の分析中にであった特筆すべきことを2点挙げておこう」として、
・指合名(さしあいな)と呼ばれれるもの。
藩主に嫡子が誕生し、命名されたものと同名では恐れ多いとして、
すべて改名を命じられるというもの。同音異字も改名させられた。

・他地域のことだが、江戸時代男子に多かった、〜兵衛、〜右衛門、〜左衛門などは
明治に入ってことごとく改名されているケースがある。

 指合名(さしあいな)の命令なんてたまったもんじゃないな。
後から生まれた者の名前が、先に生まれた人の名前とかぶっているから替えろなんて、
いくらなんでもひどすぎるんじゃありませんか。

 でも、なるほどなとおもったこともある。
お殿様の名前って殆どの場合、とても読みにくいんだよな。というか読めるほうが極端に少ない。
家来や庶民一般どこにもない名前をつけなければならなかったから、そんなふうになったんだな。
これはこれで納得。

 そして、〜兵衛、〜右衛門、〜左衛門のような名前が、明治頃から一斉になくなったのがとても不思議だったのだけれど、これもなるほどそういうわけだったのかとガッテン合点。

 2、300年前には、テープレコーダーも写真機もビデオもなく、記録方法は文字と絵だけ。
それでも代々大切に受け継がれ守られてきた名主文書やお役人の文書等で、当時の農村の様子や
社会の動静を彷彿とよみがえらせ再生させてくれる成松氏のような学者さんのお仕事は貴重でありがたいな。

 楽しく読ませていただきました。
ありがとうございました。


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