2019年10月29日火曜日

「海の祭礼」吉村 昭 著を読んだ

海の祭礼
文芸春秋 1986.10
吉村 昭 著

 胸が熱くなった。
ラナルド・マクドナルドが偽漂流者として日本で捕まり、長崎へ送られ、オランダ船で出国させられるまでの話。
漂流船とその乗組員の話は興味があってたくさん読んでいたつもりだが、この話は知らんかった。
けっこう有名な話なのだそうだ。

 米国やカナダでは日本以上に詳しくその伝記が知られているらしく本も多数あるという。
どなたか、映画にしてはくれまいか。

 この話に、森山栄之助が詳しく描かれている。
ラナルドから英語(米語)を教わったのだ。かれはこの後、英語米語の通訳として大活躍し大出世する。この話も感動が多い。

 読みながらおもった。
英語の学習が受験とからみ、多数の検定試験云々で非常ににぎやかである。
ジジイの私見は次の如し。
・外国語教育は読み書きを基本とすべし。
・聞き取り話すは現状のALTで十分である。
・大学入試で問うのならば、読み書きに絞り、聞く話すは面接で行えば良い。
以上

 森山栄之助の時代、外国語習得には強烈な現在から想像できないくらいの動機があった。
相手の話していることが理解できねば、生死に関わり国の存亡につながる。
その激烈な動機こそが外国語を学ぼうとするにはなくてはならない。

 金で済まそうとする人は、通訳を雇うだろう。そうでない人は自分で学ぶ。
現在読み書きを怠り、聞く話すに重点を移しつつあるようだが、一体どこで使うというのだ。
必要になろうとする人は自分で学べば良いことではないか、その方法は現状ではいくらでもある。
本人が外国語を学習すること自体に興味があるならばそれはそれで大いに結構なことです。
義務教育と高校で教える外国語教育は従来以上に読み書きに重きを置くのがよろしい。


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