この家に住み始めて10年目に入りました。
各部屋や台所・洗面所などにティッシュを置いてます。
今数えてみたら、5個でした。
住み始めたときに、だいたい同時にティッシュを使い始めたわけですが、
いつもおもしろいなと思ってたことは、ほぼ一斉に無くなるときは同時期なんです。
今月はもう3箱を交換しました。
そういったことって、思い返すと結構あるんです。
職場にPCを導入しだしたときのこと。
一部屋に約50台弱セッティングします。
そうすると必ず例外なく、1,2台が不良品なんです。
もちろん業者が作業をするわけですが、業者は承知していて納入台数+αで用意しています。
歩留まりとして約2%は多すぎると思った記憶があります。
現在はどうなんだろうね。
また新築の建物で勤務したことが数度ありました。
天井はすべて新品の蛍光灯です。
もちろん建物すべての部屋です。
想像していたとおり、5,6年で一斉に蛍光灯がチカチカするなど不調になりだしました。
約1000本の蛍光灯を一斉に取り替える、費用が馬鹿になりません。
現在はLEDなのでそんなことはないでしょうね。
生活している周りにはそんなことは日常で、壊れるのが重ならないだけなんでしょう。
なのでそれほど気にならない。
いま心配しているというか、予想しているのが
中国人が爆買いした炊飯器です(以前にも投稿しました)。
あの炊飯器のバッテリーがすぐに劣化するのです。
交換は10000円くらい。
我が家のもそうなのですが、自分で交換しようとしてバラすと基板上に小さな部品(コンデンサーのおおきいの)がはんだ付けされていて大変です。
メーカーの設計が悪いんです。
爆買いした中国の皆さん、爆剣幕でメーカーを突き上げて下さい。
2018年2月28日水曜日
2018年2月27日火曜日
「逝きし世の面影」渡辺京二著 を読んでいる
若い頃からずっと、フロイスをはじめ外国人が見た当時の見聞記を読むのが大好きでした。
また遣欧使節団など外国に出かけていった日本人の海外見聞録も大好きです。
若い頃に比べるとインターネットのお陰で飛躍的にそういった記録(の原本)に触れることが簡単にできます。
数日前にはググって見つけたのがこちら。
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9757095j/f9.double
当時の本がまるまる一冊読めるのですから、こんな幸せなことはありません。
ちなみにこちらは司馬江漢の江漢西遊日記の、
戸塚、大磯、小田原と東海道を下って行くところ。
くずし字で読みづらいですが、だいたい読める。
渡辺京二さん、そういった資料の縦覧ぶりが半端じゃない。
注釈がこれまた実に参考になるわけです。
農民や貧しい人たちが、陽気であり、生活は貧しくとも簡素でゆたかでであり、親和と礼節があるとしています。またこれらが豊かな生活をしている人たちにも共通していると記しています。
そのような紀行文を書く外国人たちは、この国の人々を無理やり開国させ、新しい技術や生活様式を持ち込むことが果たして良いことなのかどうか逡巡します。
このあたりまで読んでいて、
よくドキュメンタリーでやっている、アフリカや南米の未開地の部族の生活に密着するのがあるけど、それらとダブったな。
ガス水道電気などの生活に必要なインフラなんて全く無い。
が、生活の様子はみんな健康そうで陽気。
部族が生活している区域は舗装なんてされているはずがないけどチリひとつなく清潔。
こういったところに、今でも宣教師と呼ばれる人たちがガンガン入ってゆくんだから
あの人達っていうか宗派っていうか、懲りないよな。
来るもの拒まずっていうなら良いけど、
勧誘することそのものが信心を深めるっていうんだから困ったもんだ。
ロヨラさんやザビエルさんはそんなこと言っているようじゃ
まだまだ修行が足らんと警策?でパシンパシンと叩くのかもしれないな。
また遣欧使節団など外国に出かけていった日本人の海外見聞録も大好きです。
若い頃に比べるとインターネットのお陰で飛躍的にそういった記録(の原本)に触れることが簡単にできます。
数日前にはググって見つけたのがこちら。
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9757095j/f9.double
当時の本がまるまる一冊読めるのですから、こんな幸せなことはありません。
ちなみにこちらは司馬江漢の江漢西遊日記の、
戸塚、大磯、小田原と東海道を下って行くところ。
くずし字で読みづらいですが、だいたい読める。
渡辺京二さん、そういった資料の縦覧ぶりが半端じゃない。
注釈がこれまた実に参考になるわけです。
農民や貧しい人たちが、陽気であり、生活は貧しくとも簡素でゆたかでであり、親和と礼節があるとしています。またこれらが豊かな生活をしている人たちにも共通していると記しています。
そのような紀行文を書く外国人たちは、この国の人々を無理やり開国させ、新しい技術や生活様式を持ち込むことが果たして良いことなのかどうか逡巡します。
このあたりまで読んでいて、
よくドキュメンタリーでやっている、アフリカや南米の未開地の部族の生活に密着するのがあるけど、それらとダブったな。
ガス水道電気などの生活に必要なインフラなんて全く無い。
が、生活の様子はみんな健康そうで陽気。
部族が生活している区域は舗装なんてされているはずがないけどチリひとつなく清潔。
こういったところに、今でも宣教師と呼ばれる人たちがガンガン入ってゆくんだから
あの人達っていうか宗派っていうか、懲りないよな。
来るもの拒まずっていうなら良いけど、
勧誘することそのものが信心を深めるっていうんだから困ったもんだ。
ロヨラさんやザビエルさんはそんなこと言っているようじゃ
まだまだ修行が足らんと警策?でパシンパシンと叩くのかもしれないな。
2018年2月26日月曜日
ふぅ~ やっと冬季オリンピック終わった
アイススケート新種目女子マススタート、おもしろかった。
何で今までなかったんだろう。
陸上では中距離で昔からあるのにな。
高木菜那さんお見事でした。
ジジイのわたしは、オリンピックはもうやらなくていい派です。
わずか二週間くらいのことに、税金で巨費を投じる意味なしであります。
オリンピック開催の意義はもう役目を終わっています。
オリンピックを招致するためにオリンピック委員会の面々を招く図は
贈収賄をしている現場そのもであります。
放映権だかなんだかで、巨額の金銭が動く。
委員会は即解散。
世界選手権があるのだからそれで十分です。
この先、オリンピック招致に手が上がらない国が続出するはずです。
旨味がないどころか、開催することによって国内が疲弊し混乱し開催後は
コンクリートの荒れ野が広がるだけ。
巨額の経費を社会福祉にまわせば、どれだけの人たちが息をつぐことができるのか。
もう止めよう、オリンピック!
何で今までなかったんだろう。
陸上では中距離で昔からあるのにな。
高木菜那さんお見事でした。
ジジイのわたしは、オリンピックはもうやらなくていい派です。
わずか二週間くらいのことに、税金で巨費を投じる意味なしであります。
オリンピック開催の意義はもう役目を終わっています。
オリンピックを招致するためにオリンピック委員会の面々を招く図は
贈収賄をしている現場そのもであります。
放映権だかなんだかで、巨額の金銭が動く。
委員会は即解散。
世界選手権があるのだからそれで十分です。
この先、オリンピック招致に手が上がらない国が続出するはずです。
旨味がないどころか、開催することによって国内が疲弊し混乱し開催後は
コンクリートの荒れ野が広がるだけ。
巨額の経費を社会福祉にまわせば、どれだけの人たちが息をつぐことができるのか。
もう止めよう、オリンピック!
2018年2月25日日曜日
「バテレンの世紀」渡辺京二 著 を読んだ
読後感、ガレオン船の帆をいっぱいにふくらませる風が体を吹き抜けまこと気持ち良い。
今までのもやもやを吹き飛ばし一気に晴れた感じだな。
「エピローグ ファースト・コンタクト再考」と「あとがき」も素晴らしい。
氏は「なぜ書いたか。私はただキリシタンの事跡に心ひかれて、それを詳しく物語りたかったのである。」と語る。
随所に豊富なエピソードがからみ、自分自身の不確かな記憶を確認しながら読み進める。
イエズス会と共産主義者の酷似についての指摘はうなったな。
右派の右派つまり極右派と同様に極左派は両腕をぐるっと輪にすればくっついて同じだぞ、とは
大正3年生まれの亡き父がよく言っていた。
手前味噌ながら、父の名言の1つである。
一神教の思想は根深く、現代でもこれからも確固たるものだろうが、
偏見というものの、源泉であるような気がしてならない。
prejudiceはそのままのことば、善悪を判断する前にある心情だからな。
解決するには、絶やすことのない交流しかあるまい。
もうジジイなので、本はたくさん読んだ。
そして、そのほとんど全ては処分した。
それでも、出会ったそれらのなかでもとびっきりの本だったな。
幸せなめぐりあわせでした。
あとがきのおしまいで、編集部にお礼を述べ、
さらに「またお読み下さった方々にもよくぞお付き合いいただいたと御礼申し上げたい。」と続ける。
お礼を申し上げたいのは、わたくしの方である。
そして、「私たちの社会はいま急速な転機を迎えつつあるのだろうが、「歴史」はその際つねに最良の教師であると思う。」と氏は控えめに述べる。
肝に銘じておこう、と誓うぞ。
今までのもやもやを吹き飛ばし一気に晴れた感じだな。
「エピローグ ファースト・コンタクト再考」と「あとがき」も素晴らしい。
氏は「なぜ書いたか。私はただキリシタンの事跡に心ひかれて、それを詳しく物語りたかったのである。」と語る。
随所に豊富なエピソードがからみ、自分自身の不確かな記憶を確認しながら読み進める。
イエズス会と共産主義者の酷似についての指摘はうなったな。
右派の右派つまり極右派と同様に極左派は両腕をぐるっと輪にすればくっついて同じだぞ、とは
大正3年生まれの亡き父がよく言っていた。
手前味噌ながら、父の名言の1つである。
一神教の思想は根深く、現代でもこれからも確固たるものだろうが、
偏見というものの、源泉であるような気がしてならない。
prejudiceはそのままのことば、善悪を判断する前にある心情だからな。
解決するには、絶やすことのない交流しかあるまい。
もうジジイなので、本はたくさん読んだ。
そして、そのほとんど全ては処分した。
それでも、出会ったそれらのなかでもとびっきりの本だったな。
幸せなめぐりあわせでした。
あとがきのおしまいで、編集部にお礼を述べ、
さらに「またお読み下さった方々にもよくぞお付き合いいただいたと御礼申し上げたい。」と続ける。
お礼を申し上げたいのは、わたくしの方である。
そして、「私たちの社会はいま急速な転機を迎えつつあるのだろうが、「歴史」はその際つねに最良の教師であると思う。」と氏は控えめに述べる。
肝に銘じておこう、と誓うぞ。
2018年2月24日土曜日
米国の銃乱射
もう一体、何十年同じようなことの繰り返しなんだ。
このような状態のことを、改める気がないというんだな。
10人、100人、いや1000人死んだって、変える気がない。
米国は今でも西部開拓時代と同じで銃が必要だ、と考えれば
「うん」とうなづきそうになる。
しかし当時の銃と比べれば、はるかに殺傷能力は高く、手に入れやすい。
開拓しているのは土地や文化だけでなく、人を殺す武器までもそうしてきてしまっているからな。
勝手な想像だが、西部開拓時代の小学校など、
教員の脇にはつねにライフルが置いてあったのではないだろうか。
いや、もしかしたら腰にピストルをぶら下げていたのかもしれない。
身近なところに、銃のある生活がずっと続いてきてしまったのが米国なんだろうな。
あらら、それが現実になってきそうだぞ。
今日2018年2月22日トランプがこの件に関して次のように言っている。
「arm teachers with guns」
これじゃ、銃規制じゃなくて銃拡散じゃねぇか。
バカ!
このような状態のことを、改める気がないというんだな。
10人、100人、いや1000人死んだって、変える気がない。
米国は今でも西部開拓時代と同じで銃が必要だ、と考えれば
「うん」とうなづきそうになる。
しかし当時の銃と比べれば、はるかに殺傷能力は高く、手に入れやすい。
開拓しているのは土地や文化だけでなく、人を殺す武器までもそうしてきてしまっているからな。
勝手な想像だが、西部開拓時代の小学校など、
教員の脇にはつねにライフルが置いてあったのではないだろうか。
いや、もしかしたら腰にピストルをぶら下げていたのかもしれない。
身近なところに、銃のある生活がずっと続いてきてしまったのが米国なんだろうな。
あらら、それが現実になってきそうだぞ。
今日2018年2月22日トランプがこの件に関して次のように言っている。
「arm teachers with guns」
これじゃ、銃規制じゃなくて銃拡散じゃねぇか。
バカ!
2018年2月23日金曜日
ウイリアム・アダムスのこと
なんだか気になって少し詳しくググってみた。
まず1つ目。
大英帝国博物館に彼の手紙の原本がある。
これはそこの原本ではないが、彼が本国に何度か書いた手紙を読むことができる。
http://anthony.sogang.ac.kr/LettersWilliamAdams.html
妻への手紙が愛情あふれるものかと想像したが、う~ん。
ウイリアム・アダムスに関心ある人はたくさんいるようで、
このブログ(英国図書館)もそう。
http://blogs.bl.uk/untoldlives/2016/05/william-adams-from-gillingham-to-japan.html
彼は死後、遺産をイングランドの愛する妻と子どもたちに、
そして日本の子どもたちヨゼフとスザンナに半分ずつ相続することを願っていた。
決してイングランドの妻と子どもを忘れていたわけではなかったんだな。
生前にも、イングランドの家族に東インド会社から金銭を支払うようにお願いしている。
400年以上前の単身赴任父ちゃんのハシリだったんかね。
このブログでは彼の子どもたちのその後も調べているが、
イングランドの子どもたちについても、日本の子どもたちについても
彼らの後半生は不明になってしまっている。
もう1つ。
彼は家康に命じられて船を2艘作ることになってしまった。
その2艘目にドラマが仕込まれていたなんて。
タイミングよく朝日新聞朝刊千葉版にこの件に絡む記事があった。
400年前なんて昔のようで昔でなく、つい最近のことのような気もするな。
まず1つ目。
大英帝国博物館に彼の手紙の原本がある。
これはそこの原本ではないが、彼が本国に何度か書いた手紙を読むことができる。
http://anthony.sogang.ac.kr/LettersWilliamAdams.html
妻への手紙が愛情あふれるものかと想像したが、う~ん。
ウイリアム・アダムスに関心ある人はたくさんいるようで、
このブログ(英国図書館)もそう。
http://blogs.bl.uk/untoldlives/2016/05/william-adams-from-gillingham-to-japan.html
彼は死後、遺産をイングランドの愛する妻と子どもたちに、
そして日本の子どもたちヨゼフとスザンナに半分ずつ相続することを願っていた。
決してイングランドの妻と子どもを忘れていたわけではなかったんだな。
生前にも、イングランドの家族に東インド会社から金銭を支払うようにお願いしている。
400年以上前の単身赴任父ちゃんのハシリだったんかね。
このブログでは彼の子どもたちのその後も調べているが、
イングランドの子どもたちについても、日本の子どもたちについても
彼らの後半生は不明になってしまっている。
もう1つ。
彼は家康に命じられて船を2艘作ることになってしまった。
その2艘目にドラマが仕込まれていたなんて。
タイミングよく朝日新聞朝刊千葉版にこの件に絡む記事があった。
400年前なんて昔のようで昔でなく、つい最近のことのような気もするな。
2018年2月22日木曜日
家康と宣教師たち
1588年スペインの無敵艦隊はネルソン提督率いるイギリス艦隊に敗れた。
イギリス・オランダはそれ以降ポルトガル・スペインに取って代わってゆく。
そのような世界情勢の中、ウイリアム・アダムスは日本に漂着した。
家康は何度となく彼を尋問する。
通訳は宣教師たち。
その宣教師たち、てんでデタラメに自分たちの都合のようように通訳した。
彼は海賊ですぐに殺せ。
これが神に仕える宣教師の実態なんだろうな。
そもそも、彼らが使えている神に国境なんてなかろうに、なんてざまだ。
家康はすぐに見破る。
難破した船もわざわざ関東まで回航させている。
船には当時の最先端の武器弾薬が積まれていた。
これらの出来事は関が原の合戦前後の流れと同時進行なのが
また驚くところ。
家康の周りを取り巻く各会派は入り乱れていたが、
その姿はとても聖職者とはおもえない。
家康の対応が、
(信長+秀吉)÷2であることが愉快だな。
世界情勢にすっごく関心があるし、金儲けのための貿易にもヨダレが出るほだ。
家康との謁見の様子を「ドン・ロドリゴ日本渡航記」に見てみる。
(ドン・ロドリゴと日本との関わりがこれまた興味尽きることがない)
「皇帝はとても大きな部屋にいて、その建物の精巧なことは言語に尽くせず、その中央より向こうに階段があり、そこを上がりきると黄金の綱があった。部屋の両側に沿ってその端、即ち皇帝の居る場所より約四歩の所に進んだ。その高さ1.6メートルにして多数の小さな戸があった。家臣等は時々皇帝に招かれこの戸より出入りした」
ここまでは、時代劇そのままだ、続いて家康の様子が描かれている。
「彼は60歳(実際は67)の中背の老人で、尊敬すべく愉快な容貌をしており、太子(秀忠のこと)のように色が黒くなく、また彼より肥満していた。私は、あらかじめ、握手を求めたり手に接吻しないようにと注意を受けていたので、椅子のところに行くと最敬礼をした。彼はそれまで容貌を変えなかったが、少し頭を下げ私に対して大いに好意を示して微笑し、手を挙げて着座せよという合図をした」
普段、このような様子は映画やテレビでしか見ることはできないが、
これこそが本物、家康を活写しているではないか。
なお、家康については下記HPに詳しくまとめられ、大変に参考になる
http://www.visit-shizuoka.com/t/oogosho400/index.htm
イギリス・オランダはそれ以降ポルトガル・スペインに取って代わってゆく。
そのような世界情勢の中、ウイリアム・アダムスは日本に漂着した。
家康は何度となく彼を尋問する。
通訳は宣教師たち。
その宣教師たち、てんでデタラメに自分たちの都合のようように通訳した。
彼は海賊ですぐに殺せ。
これが神に仕える宣教師の実態なんだろうな。
そもそも、彼らが使えている神に国境なんてなかろうに、なんてざまだ。
家康はすぐに見破る。
難破した船もわざわざ関東まで回航させている。
船には当時の最先端の武器弾薬が積まれていた。
これらの出来事は関が原の合戦前後の流れと同時進行なのが
また驚くところ。
家康の周りを取り巻く各会派は入り乱れていたが、
その姿はとても聖職者とはおもえない。
家康の対応が、
(信長+秀吉)÷2であることが愉快だな。
世界情勢にすっごく関心があるし、金儲けのための貿易にもヨダレが出るほだ。
家康との謁見の様子を「ドン・ロドリゴ日本渡航記」に見てみる。
(ドン・ロドリゴと日本との関わりがこれまた興味尽きることがない)
「皇帝はとても大きな部屋にいて、その建物の精巧なことは言語に尽くせず、その中央より向こうに階段があり、そこを上がりきると黄金の綱があった。部屋の両側に沿ってその端、即ち皇帝の居る場所より約四歩の所に進んだ。その高さ1.6メートルにして多数の小さな戸があった。家臣等は時々皇帝に招かれこの戸より出入りした」
ここまでは、時代劇そのままだ、続いて家康の様子が描かれている。
「彼は60歳(実際は67)の中背の老人で、尊敬すべく愉快な容貌をしており、太子(秀忠のこと)のように色が黒くなく、また彼より肥満していた。私は、あらかじめ、握手を求めたり手に接吻しないようにと注意を受けていたので、椅子のところに行くと最敬礼をした。彼はそれまで容貌を変えなかったが、少し頭を下げ私に対して大いに好意を示して微笑し、手を挙げて着座せよという合図をした」
普段、このような様子は映画やテレビでしか見ることはできないが、
これこそが本物、家康を活写しているではないか。
なお、家康については下記HPに詳しくまとめられ、大変に参考になる
http://www.visit-shizuoka.com/t/oogosho400/index.htm
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