「お客様は神様だ」を守札にして、商店に食って掛かる客がいる。
ホントに神様だと思っているからたちが悪い。
金を支払っているのだから何をしてもいいとおもっている。
金を払って神様になれるなら、そんな神様は嘘っぱちだ。
「お客様は神様だ」と唱和させ、部下にハッパをかける。
社員に給金を払っているからといって、牛馬のようにこき使う。
高い給料を払っているのだから、何をしてもいいとおもっている。
そして死ぬまで働かせる。
店で威張る散らす客も、会社で部下を怒鳴り散らす管理職も同じだ。
牛馬ほど大切にされた家畜はあるまい。
農地を耕すには、なくてはならない家畜だったからだ。
一日田畑で汗水たらして働いた牛馬は、藁で汗を拭き、飼葉を食わせ、休ませた。
その世話をした、農民は風呂など入らず、食うものも食わず寝た。
江戸時代、人間以上の扱いをうけていたといっても過言ではない。
それが文明開化から150年以上たっているというのに、このざまだ。
始業時間を守らせることには厳格だ。
朝礼・朝会・体操など企業ごとに工夫を様々にしている。
一斉始業し、昔の工場ではお昼のサイレンが鳴り響き、昼食休憩となった。
ところが終業となると、途端に手のひらを返したようになる。
働かせる戦略はあの手この手で実行し続けるが、
就業時間を守らせる手立てはしない。
しっかり休ませて、次の労働にそなえさせるということをしない。
牛馬以下だ。
代りはいくらでもいる、というのが根本にある。
いくら労働法で制約をかけようとも、
人間を人扱いしないのだから、なんの解決にもならない。
国は会社の責任を追求するが、そんな見せかけには騙されたくない。
沖縄を差別する国の姿が端的にそのことをあらわしている。
過労で人が死んでいくなんて・・・
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