ずっと以前から、30年前くらいか、少年時代の歌詞で、職場で議論し合ったことがあった。
この番組の中では、期待通り一番初めに話題となった。
ロバートさんが言う。
「アザミなんだけど・・・」
陽水さんがいつもの調子で
「鬼アザミがあるんだから、風アザミがあってもいいんじゃないかなぁ」
なんとなく、確信のないぼかした独り言のようだった。
アザミの葉っぱはとげがあって、気軽に触れない。
うっかりさわると、おもわず手を引いてしまうくらい痛い。
なのでアザミというと花より葉っぱの痛さが、最初に浮かぶ。
少年時代を振り返ると、心にチクチクするような痛みなんていっぱいある。
少年時代の歌詞の意味や解釈なんて、する必要がないとおもっている。
千昌夫の曲に「北国の春」がある。
1,2,3番の出だしの歌詞はこんな具合だ。
1 白樺 青空 南風
2 雪どけ せせらぎ 丸木橋
3 山吹 朝霧 水車小屋
舞台で言えば、幕ごとの背景にそれぞれの言葉の絵が大きく描かれている。
単語を並べて、情景をかもしだしている。
言葉や単語は色や音でもある。
カンディンスキーの絵に色を散りばめ、全体を構成しひとつの世界を描いている作品がある。
武満徹の作品にも同じように音を散りばめて、曲全体を蒔絵のように語らせている。
演歌には単語を連想ゲームのように並べていって、
様々な感情を表現している歌詞がたくさんある。
主語も述語もない。
少年時代は名曲だ。
弦楽四重奏で聴いても感動する。
陽水の伸びのある歌声、こちらは本家本元だがやはり感動する。
文法や季語云々などナンセンスだろう。
この曲を聴いていると
子どもの頃を思い出してしまうことだけは確かだな。
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