二つの対談は2000年以降。
どこから読んでも大丈夫そうなので、デタラメに読んでいる。
序章 勤勉革命と産業革命、終章 江戸時代と現代、第6章 「鎖国」を見直す、
第1章 歴史の中の江戸時代 と読み進んだ。
ここまででも、すこぶるおもしろい。
それぞれの章の興味深かったところを書き出したいところだが、
それはあとにして、第2章 歴史の物差し、で対談している増田四郎氏が、
正鵠を射た指摘をしている。
「・・・今の日本の学会をみると、歴史学者ばっかりで歴史家がいない、つまり歴史の理論的な分析だけが繊細に議論されていて、全体の絵を一般市民が読んで面白くわかるような歴史叙述のできる歴史家が少ない。・・・そういう問題も反省すべきでしょうね。」
この部分を読んだとき、ジジイのわたしはおもわず誰もいない庭に向かって「そうだっ」と
大声で叫んでしまった。
図書館で読んでいるとこれができない。
できるような図書館があったらおしえて頂きたい。
この「歴史叙述」というところがとても大切なのです。
いつかこのブログでも言ったことがあるけど、まさにhistoryが歴史叙述なのです。
historyは途中の経過は省くけどstoryなんです。
それがhistoryだけになってしまって、storyは片隅に追いやられてしまったんだな。
最近読んだ本で、質も量もたっぷりとこの歴史叙述をしてくれている人が、
渡辺京二氏の「バテレンの世紀」や「逝きし世の面影」シリーズの本たち。
歴史叙述をしている人たちを、storyを片隅に追いやってしまった人たちは
講談師と蔑むらしい。
そんな人たちはほったらかしにしておいて、歴史の先生方は歴史叙述講談師に磨きをかけてほしい。
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