こんなジジイになってしまってからおもうのだが、
読み書き算盤という教育の中、
読みのところで「古文書解読」をやってほしかった。
中学校からでも、高校からでもよい。
古文の時間はあったが、古文書も入れてほしかった。
古文書学習というと、中年すぎまたは退職年配者が、公民館で学ぶというのが
昨今の形みたいになってる。
それはそれで行えば良いことだが、
教育の中に取り入れ、若者にこそ古文書が読めるよう学べる形がほしい。
古文書といったって、いろいろな種類がある。
とりあえずは、自分たちの生活圏の古文書を見つけ読むだけでも
様々な細々とした地域のことや、社会経済状況が学べるではないか。
なにより日本全国多数存在する古文書が読めないなんて
宝の持ち腐れだ。
古文書の書き手に申し訳がたたぬ。
古文書の保存にはそれなりに力を入れ、図書館や大学や関係諸機関で保存されているが
気軽に図書館で本を借りるようにはなっていない。
複写冊子で十分なのだからやろうとすればすぐにでもできるはずである。
そして、気に食わぬのが複写物でも無断転載禁止とある。
どんどんネットで読めるようにどうしてしてくれないのだろう。
いろいろなところの図書館蔵書をかたっぱしから調べてみると、
こういった古文書を持っているという一覧があるだけで、なぜか読めるようにはしていない。
100年以上前のものに著作権云々なんて考慮しなくて結構。
グダグダ言うのはジジイの悪い癖。
箇条書きにしておこう。
○古文書学習を教育の中で、遅くとも高校で学べるように。
○古文書がもっと簡単に手に入るように、学芸員はより一層努力を。
○古文書の保存保管だけでは社会経済にとって大きな損失。過去に学ぼう。
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