この本を読み終わって、鎖国についての自分の考えがまとまったような気がする。
それは、
『海外から来るすべての事柄をひっくるめて、それらを閉ざすのではなく
受け入れるひとつの形態であった』と、まぁこんな考えである。
もう一つ、言葉を変えていえば、
『外圧に対する苦し紛れの施策』とみても
いいかもしれない。
「第11章 大衆化社会の原理」、木村尚三郎・山崎正和・速水融 各氏の対談が愉快だ。
キリスト教布教や宗教、鎖国のこと、その他もろもろの江戸期だけでなく幅広い話題を仕込んだ手毬をくるくる投げ回しているよう。
この本の対談は2つを除いて1977年に行われている。
ずいぶん前のことになるな。
これら対談の成果は少しは今に反映されているのかどうか、気になる。
一つだけ自身を持って言えることがある。
江戸時代の印象が変わっては困る、または食っていけなく業界があることだけは確かだろうな。
時代劇がお代官様シリーズや今までの士農工商を前提にした脚本など、みな使えなくなってしまう。刀を振り回し乱暴狼藉をする侍や地面に頭をこすりつけペコペコする百姓たちも、どうなってしまうのか。
40年以上たってもさほど江戸時代の印象が変わらぬのは、こういった業界の力はとてもでかい。
ジジイは子どもの頃から最初は映画、後にテレビで時代劇に親しんできた。
時代劇の漫画もずいぶん読んだな。
紫頭巾・丹下左膳・鞍馬天狗・白馬童子・伊賀の影丸・銭形平次・・・いくらでもででくるぞ、
最近では鬼平犯科帳・水戸黄門・・・あれ、最近のはあまりおもいつかんな。
まぁ、ジジイにとって江戸時代とは、とても単純で
つい最近のこと、っていうのが肌で感じることです。
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