2018年5月16日水曜日

「歴史の中の江戸時代」速水 融 著 を読んでいる  その2

 第2章 歴史の物差し 次の速水氏の部分も興味深い。
○戦国武将の多くは城下町をつくらなかった。
○つくったのは信長・秀吉・家康。
○今川・織田で信長勝利のわけは、信長は城下町をつくり、専門的軍隊をもち、集団戦闘訓練をし、烏合の衆の今川を少数でうちやぶった。

○城下町をつくらない=>武士は普段は農村に居住=>集団戦闘訓練はできない=>いざ鎌倉のときだけ集まって闘う。
○片やいざ鎌倉軍隊、一方専門軍隊の大規模な野戦だと、勝つのは専門軍隊。
○それをしたのが信長、引き継いだのが秀吉・家康、それが三人が天下取りになった理由。

○兵農分離をおこなえた事実があったことが要点。
○上杉・武田・今川・毛利・島津はそういった事実のない地域の領主なので兵農分離をやろうにもできない。
○兵農分離ができるかできないかが城下町をつくれるかつくれないかにかかってくる。

○城下町ができる=>非常に多彩な消費物資が要求される、しかも年貢は米と貨幣で納められるので他のものは買わなくてはならない

 そして増田氏の質問に
○兵農分業が起こる以前農民は自己防衛能力があるやいなや。

 速水氏の答えが、核心にせまってくる。
○なぜ、美濃・尾張・三河あたりを基盤にして信長・秀吉・家康が出たか

 とその後の対談もジジイの好奇心は全開となり、昼寝を忘れる。
詳しくは本書を読んで下さい。


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