高木兼寛はウイリスの教え子です。兼寛は卒業後海軍へ進み、命令で英国留学しました。ちょうどウイリスが休暇で帰国したとき兼寛にも会い、その活躍を誇りにしたとのことです。
兼寛の一番の功績は脚気の治療とその予防です。兼寛の海軍では完全に脚気対策ができたのですが、陸軍ではひどい有様でした。日露戦争では戦闘で亡くなった兵士よりも何倍もの兵士が脚気で亡くなっていますし、戦う前から脚気で使い物にならなくなっていました。
一番の原因は石黒忠悳と森林太郎です。森林太郎は小説家名では森鴎外です。隣の海軍では完全に脚気対策と予防が行われていたに、陸軍では米食が伝統であるとしてそれを変えることはしませんでした。平ったく言うと面子でしょう。
森林太郎は陸軍軍医のトップ軍医総監(陸軍省医務局長)にまでなり、彼の決断で脚気は防げたのです。彼の間違った判断で二十数万人の兵隊さんが脚気になり、二万人前後が亡くなったと言われています。
今年2022年は鴎外没後百周年記念で新聞などでそれらの記事を目にすることが多くなりました。作家としての鴎外を論評することは結構なことですが、一方で軍医としての林太郎の罪も論じてほしい。
かれの軍医としての仕事をかえりみるととてもじゃないけどたたえる気になどこれっぽっちもありません。
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