2016年10月15日土曜日

携帯文字変換中毒 その9(最終回)

 アランが運営している研究所はおもしろい。
一体何カ国の人たちが働いているのだろう。
面食らったのは、共通語がないということだった。
何を研究し何を作ってどのように提供するかということが
共通事項として徹底されるだけであった。
それぞれの人はそれぞれ自分の国の言葉であるだろう言語で会話している。
身振り手振りや筆談もするが基本、相手のことなどお構い無しだ。
どうしてもと言うときだけ、米語を使う。

 馴染んでいくに従って、肩の荷がおりるのが自分でもわかった。
どうにかなるもんだと腑に落ちた。

 彼の研究テーマは、アランのメールを読んでいるときに決まっていた。
喉頭がんや事故などで声を失った人に声を取り戻す。
彼には20年を越えるK2Pアプリのヘビーユーザーであり、経験という蓄積がある。
またそのアプリに関わる周辺の状況や課題も把握していた。
追い求めることははっきりしていた。

 彼の芸術的で超人的な携帯キー入力を置き換える方法が発明されればよい。
研究所の医療工学部門で制作されている、義手や義足を応用しようとおもった。
声帯のしくみと発声されるときの神経伝達系の研究に何年も没頭した。

 ある日の新聞に、彼と若い女性の笑顔の写真が大きく掲載された。
側頭部と少しのぞいて見える後頭部はすっかり白くなり、
頭頂部は頭皮にシミが散らばり見え、禿上がっていた。

 そんな歳になって、彼は若い妻を迎えていた。
彼の妻は喉元にいつもスカーフを巻いていた。
彼女の声は、彼が最初に手にしたK2Pアプリの女声data「桃子」にどことなく似ていた。

 K2P完成と記事にはあった。
『音にならない心の声は無音だ。声帯という肉体の一部の部位を振動させることにより音の声となる。
心の声は神経を通り電気的信号によりに声帯に伝達し、振動し空気中に伝わる。心の声の電気的信号を拾い、それを音声に組み立て口蓋内の動きをシミュレートすることで声にしている。』
そんな簡単な説明があった。
『読み方は Koe To Person です。』と更に彼自身の短いコメントも記されていた。

 K2Pは彼を支えてきたものだし、Koe To Person のように日本語と英語が混じっているのも、
この研究所らしくていいじゃないかと彼は考えていた。

 さぁと彼はギターをかかえ妻に歌うよう、うながした。
 「K2Pで歌声を、だぞ」
 まだ音をはずしてしまう、「桃子」の声は艷やかで色っぽかった。



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