氏の名前はずっと以前から存じ上げているが、本を手にすることはなかった。
時代劇の小説が好きで、あちこち読んでいるうちにたまたま手にした一冊が氏の著作で、
それを機に浅田次郎作品を親しんでいる。
短編もこころに残る小品が多く、珠玉集として再編してほしいくらいだ。
ところが、ときたま息切れ状態になることもあるようで、最後の締めが尻切れトンボ感があるのが残念だ。
しかし、そんなのは再版するときに手を加えればよい。
かって、大御所の井伏鱒二も山椒魚の最後を書き換えている。
岩窟で育ちすぎた山椒魚が、その巨大なパワーで岩窟を破壊して湖水にあらわれた。
何十年ぶりの自由を楽しんでいたら、漁師に捕まってしまった。
100人前の山椒魚の蒲焼きになって、地元民の滋養となり、骨まで唐揚げで食べられてしまい、
供養塔すら造られなかった。
破壊された岩窟の岩屑を集め、代々その旨さを伝える滋養塔とした。
たしかそんな内容だったとおもう。
浅田氏の軽く読み進めるエッセイ集のなかで、
虫の知らせ的なある出来事の不思議な連続性を話題にしているものがあった。
ロンドンのホテルで偶然にすれちがった著名人が、
時を経ず今度は世界的に有名なカジノに滞在しているときに同一人物に出会った。
ご本人はもちろんそんなことって・・・と驚くのだが、読者もしかりである。
読後、遠藤周作氏がシンクロニシティという言葉を用いて、
自分で経験したこと、これもロンドンのエレバーターの中である人物に出会ったこと、を書かれていたことを思い出していた。
他の作品の中でも、この現象をからませて、仕上げている。
そんなことがあった昨日の今日、
僕自身、朝刊の今夜の番組紹介欄でシンクロニシティという言葉を見つけて驚いた。
そうそう、日常にあらわれる言葉ではない。
そうして、さらに朝刊をパラパラ読みすすめていると、あれれれれ・・・
あまりセンスが良くない顔写真付きの講演広告があった。
それがこれ。
これをみて、この短文を書こうとおもった次第。
まるで、懸賞金付きのお尋ね者写真だ。
もちろん百も承知で、講演冒頭のつかみをねらった写真であるだろう。
わかってても、うける。
浅田氏のエッセイの内容 → (遠藤周作)シンクロニシティという単語 → 今朝の朝刊番組紹介で同一単語 → 浅田次郎手配写真
とまぁ、こんな連関が日をまたいで起きたわけです。
不思議というより、面白いな。
で、この講演会無料だし出かけてみたいものの、体力がまだそこまで回復していないのが残念至極。
講演の盛会をお祈りします。
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