2016年10月5日水曜日

携帯文字変換中毒 その3

 彼は話すのと同じくらいの速さで、携帯文字変換入力ができる。
入力すると同時にこの携帯から音声がでれば、タイムラグを感じることなく
相手と会話ができるではないか。
はやる気持ちを抑えながら、検索し続けた。
携帯の文字キーが汗でヌルヌルしても構わず続けた。
あった。
ファイル名は「K2P」、なんと読むのだろう、恐らくそのまま「ケーツーピー」だろう。
開発者は、Keyboard To Person のつもりか、まさか Keitai の K ではあるまい。
おっ、Free じゃないか。
今まで通り営業がこれでできたら、多額のドネイトをしよう、
彼はインストールしながら誓った。

 すぐに試した。
素晴らしい。感動もんだ。タイムラグはない。
まるで、携帯を喉元に当ててそのまま声帯の動きを読み取って発声しているようではないか。
入力し続けるのは手間だが、彼にとっては息をするのに等しい作業だ。
いや作業でも行為でもない。
ごく自然な流れで携帯から発声ができる。

 焦りと嬉しさで手汗がひどい。
携帯を手ぬぐいで拭った。
アプリに音声登録モードがあった。
自分の声を登録して合成音声ではない自分の声で話せるモードだ。
そのためには自分の声を入力しなければならない。
今、彼は携帯文字変換入力でしかしゃべれない。
こんなしゃべり方でも、自分の肉声には違いないのだからと、
アプリの指示に従い携帯に向かって発声してみたが、エラーだ。
何度か試すが、エラーが繰り返し表示される。
困った。

 あくる日、今日はさえてると彼はまた膝をポポンと連続してたたいた。
うん、あれがある。
何年か前の会社の忘年会で、ビデオを撮ったことがあった。
あのなかで、挨拶している自分の声があったはずだ。
営業の出し物で寸劇もやった。
DVDに焼いてもらった映像から自分の声をかき集めたら、1時間近くのdataになった。
これだけあれば充分だ。

 なんて気の利いたアプリなのだろう。
dataはMP3ファイルにして、読み込めばすむようになっている。
dataそのものの音声を約1時間、携帯に聞かせるものばかりだとおもっていた
彼は小躍りした。
小刻みに震える指先ですぐに話してみた。
「首なんてイヤです」
スゴッ。星3つだ。

 なんだっ、リピートモードっていうのもあるぞ。
「9」と「#」の同時押しで繰り返すようだ。
これなら指一本でもできる。
押した。
「首なんてイヤです」
完璧だ。
何度か押した。
「首なんてイヤです」「首なんてイヤです」「首なんてイヤです」「首なんてイヤです」・・・
なんという説得力。
部長はのけぞるだろう。
俺の必死さが伝わる。
それも俺の声でだ。
額の汗玉を、すっかり湿っぽくなった手ぬぐいで拭いた。

(続く)



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