2017年1月31日火曜日

印鑑入れ その5

 回転する方は画像にある通り、コの字型に削り出しているので強度的に不安があります。
普段蓋を回転させる程度の力では壊れることはないとおもいます。

 しかし、できたものを力まかせに破壊してみると
コの字型の上下を挟んで力をそこそこ加えると、割れました。



 現在は割れた部分の厚さは6mmですが、10mmに変更したほうが良さそうです。
側板に固定してある反対側は6mmですが、こちら側はこのままで大丈夫でしょう。

 ついでに側板の接着強度もテストしました。
まずは、手で力を加えます。
剥がれませんので、ロッキングプライヤーをそれぞれの側板に挟んでエイヤー。
低温での接着でしたが、簡単にはがれません。

 力いっぱいでもう一度。
まず片側の側板がそのままはがれました。
そしてもっと力を入れると、接着面ははがれずに、側板が割れました。



接着強度は充分だし、ケヤキ4mmでも丈夫でした。



2017年1月30日月曜日

印鑑入れ その4

 次の挑戦がこのタイプ。
一つの角材から加工してるので、木目はどの角度からみてもつながります。
左側の通常のがま口タイプは比較のためです。
太さ10mm、長さ60mmの一般的なものです。



 蓋を持ち上げて、



 回転させます。



 側面から見るとこんな感じ。



このときのものは、蓋が本体からはみ出してますが、
現在作っているものは、蓋がちょうど本体の側板と面一になっています。
まぁ、どちらでもいいかも。


 太さ15mm、長さ67mmが収まるようになってます。
実印タイプはこの15mm・60mmが多いみたい。
こんな具合に立てたままにしておくこともOK。



 角度を変えて、



 使用後はそのまま閉めて、



 おさまります。



 木目がつながっているものも良いのですが、
側板に変化をつけたものも味があります。



2017年1月29日日曜日

印鑑入れ その3

 次に作ったのは、縦方向にアリミゾを作って閉まるようにした。



蓋の方は手加工だが、作った当初は、良い締り具合でも
数日たつと、蓋がスルスルと見事にスライドしてしまう。



 ガタツキも隙間もないのだが、作ろうとおもっても
これほど滑らかにすべらせるようにはつくれないのにとため息だ。

 何度かこれを繰り返し、なんとか蓋が滑って落ちることはなくなった。

 しかし、こんな方法も試してみた。
スルスル滑りの良い状態で、適当なところがきつくなるように
鉋の削りカスを接着し、調整すると良い締り具合の箇所ができる。
すぅ~と滑り込んで、キュッと締まる感じ。
この状態がどれくらい保てるか、やはり使い続けないとわからないか。




2017年1月28日土曜日

印鑑入れ その2

 印鑑入れを作り出した。
以前必要にせまられて、作ったのはこんなのでした。



上からはめるタイプです。
ややきつめにはめるようにしてあります。



 今度は横からアリミゾにスライドして蓋が閉まるようにしてみました。
黒檀を蓋にしましたが、調整して削っているうちに端が少し欠けてしまったりして、
ちょっとやっかい。



 蓋を閉めると、アリの角度がゆるいので、最初の上からはめているのと区別がつかないな。





2017年1月27日金曜日

楠の一枚板

 いつものお世話になっているお店から家へ運んだときに腰を痛めた。
重量15kgだった。
幅75cm。長さは上下の割れを除くと約80cm。厚さ約3cm。
小さなテーブルやちゃぶ台くらいなら制作できる。



 この板、端材なんです。
昨年夏に製材して、雨風日当たりなんて全く気にしないでほったらかしになっていた。
3枚あったのだけれど、その3枚とも反りがこない。
家の居間の湿度が20%以下なので、好奇心で2枚を家に運んだ。
ほんのり樟脳のメンソール系の香りが今でもしている。

 木の反りについては、いつも家を建ててくれた大工さんの言葉を思い出すんだけど
「反る板は反る、反らない板は反らない」
この楠の板3枚で確かめるぞ。


2017年1月26日木曜日

『「日米合同委員会」の研究』を読んだ その10

 わたし自身の身近なことを書き連ねてきた。
日常生活で米軍関係にかかわる出来事に接することを望んでもいないのに、こんなにある。
まだまだあるのだが、この本を読みながら
こういった細々とした事柄を思い出さずにはいられなかった。

 米駐留軍が勝手気ままに行動すれば当然、法律に違反することがでてくる。
そのための対策として、最高裁判所までに裏マニュアルがあるというのだ。
全身から力が抜けていくな。

 まさに、日米合同委員会の密室密約が憲法の上をいっているわけだが、
これでよくまぁ、中国のことをとやかく言えたもんだ。
中国共産党は形ばかりの三権分立の上に君臨していて、
すべてにおいて決定権がある。
そのことの是非は置いておいて、隠されてはいない。

 米軍が関与すること以外は、日本は法治国家だと政府は言うかもしれないけど
あってはならんことは、あってはならんのです。

 今朝(2017年1月17日)の新聞にこんな記事があったが、沖縄「疑問」とあるけど
そうだろうな。



何度も何度も、こんなことやって国民騙して、密室では
「仰せのとおりでございます」と密約してるんだからな。
それ以上に「思いやり予算」だって。
開いた口がふさがらんわ。

 政府は、何度もこんな見え透いた同じ手で国民を騙し続けて
まずいともなんともおもわないのだろうか。
いい加減、同じ手を何度も使ってたらばれるじゃん。
もっとも、戦時中日本は暗号のキーを変えなかったという伝統があるからな。


2017年1月25日水曜日

昨日の朝(1月24日)はよく冷え込んだ 

 朝、居間の温度は外が冷え込んでも、たいてい18度か19度ぐらいだ。
しかし、昨日の朝はよく冷え込んだ。
居間は17度くらい、エアコンの入っていない東南の部屋は3度。

 湿気があると夜露で車は真っ白になるのだが、
乾燥しているので雪の結晶に似たものができる。
朝日をあびてきれいだ。

 車のフロントガラスにできている結晶のほうが大きい。



ボンネットのほうもきれいで、見とれていたら



くしゃみ一つをぶっ放した。

2017年1月24日火曜日

『「日米合同委員会」の研究』を読んだ その9 

 神奈川県座間市に通称座間キャンプと呼ばれるところがある。
かって、出張でその座間キャンプの脇道を炎天下、歩いたものだ。
日差しだけで頭に血が上ったわけではない。
腹の底のふつふつと騒ぐものに火をくべられていた。

 その道の片側は、マンションがたくさん所狭しと立ち並ぶ。
もちろん、一戸建てもある。



そして、もう一方の側は、米軍のゴルフ場だ。
素通しのフェンスだけで仕切られている。
航空写真の画像見れば、なんとも血の気がひいてしまう光景が広がっている。



 こんなゴルフ場で、フェンスの外からの日本人の屈折した視線を浴び、
プレーをして楽しいのだろうか。
米国は世界中にこんな施設を持っているから、そこでプレーすることなんて
当然のこととして、そんな感覚すら持ち合わせてないのかもしれない。

 沖縄ではこんな風景が全土に広がっている。
米軍が駐留している日本全国の地域は大方こんな風景が多いともおもう。
わたしのように腹底のフツフツと決して消えることのない埋もれ火みたいのを
持っている人は多いとおもう。
それが、何かのきっかけで憤怒の炎となって燃え上がる。
日本全国にたくさんいるはずだ。


2017年1月23日月曜日

『「日米合同委員会」の研究』を読んだ その8

 この池子の米軍住宅に人が住むようになって、
逗子からベースのある横須賀中央への下り16号線が渋滞しだした。
地元民は我慢するしかない。

 あるとき、噂に聞いた。
池子からベースまで専用道路をつくるらしい。
地元民はこのような噂をきいたとき、否定することはめったにない。
大抵のことは、住民の意志に逆らい、二束三文で土地を強制接収し実現させてしまうからだ。

 戦時中からずっとそうだった。
観音崎という東京湾入り口に灯台のある観光地がある。
現在は県立公園となっているが、戦前はほとんどすべて個人の所有地であった。
タダ同然で強制的に土地を取り上げられ、戦後返還されることなく国が結局没収してしまった。

 その専用道路だが、専用道路にはならなかったものの、
実質同じ役割のものがやはりできた。
横浜横須賀道路という高速道路の、(逗葉新道IC〜逗子IC)〜本町山中有料道路がそれにあたる。
もちろん、池子米軍住居住民はフリーパスを持っている(はずだ)。
この画像を見てもらえれば、うなずいてくれることとおもう。



 しかし、ベースから池子までの16号線とその支線に、
相変わらずYナンバー車が走っているところをみると、
全員がパスを持ってはなさそう。
こう言ってはなんだが、このYナンバー車、大抵は運転が下手だ。
結構、気を使う。

 とにかく、密室密約でなんでもやる。
政府から積極的に、駐留軍に出ていってもらわないよう
顔色をうかがいながらしているのだから
外務省官僚たちは次々と伏魔殿に殿堂入りを果たしている。



2017年1月22日日曜日

『「日米合同委員会」の研究』を読んだ その7 

 京急線神武寺駅の改札の反対側(逗子海岸駅方面)が、池子米軍住宅の出入り口になる。
京急線の踏切を渡ってすぐ、ゲートがある。
さすがの米軍もこの線路を撤去することはできなかったようだ。
ところがだ、神武寺駅の改札に別途、基地住民専用の改札口を作ってしまった。
いやはや、やるな。



 この下の航空写真からもわかる通り、ショートカットの出入り口を作ってしまった。
本当は、一般改札口から画面左斜め下方向に歩いて踏切を渡り出入り口ゲートを利用しなければならない。
新規の専用改札口の道路をはさんで、駐車場があるが、ここまで車で来て電車に乗るのだろう。


 日本全国例外なくベースの中は米国になる。
野球場・フットボール場は必須だ。
プールもある。
できた当初は、比較的警備は緩やかで、特にチェックを受けることなく中を散歩したことがある。
もしかしたら、警備のすきを突いて、たまたま入れてしまっただけかもしれない。

 踏切の手前左側に福来満という中華料理屋さんがある。



職場の昼飯に配達をお願いしたり、休日には家族で食べに行ったり、さんざんお世話になったお店だ。
結構混むので、外でぼんやり待つことも多かった。
 
 そんなある日、地元の婆さんが散歩しながら、ゲート警備の軍人さんに
腰がやや曲がり、トボトボ歩きで近づいて行った。
軍人さんにやや緊張がみられるも、そんなことはお構い無しに
接近し話しかけている。
 婆さんが手提げ袋から何かを出して、軍人さんに差し出している。
どうやら飴玉をあげているようだ。
 サンキューと大きな笑い声が聞こえてきた。
婆さん、何事もなかったかのように散歩をまた始めていた。

 今もこんなにのどかなのだろうか。


2017年1月21日土曜日

『「日米合同委員会」の研究』を読んだ その6

 神奈川県逗子市に池子というところがある。
かってはそこに旧日本海軍弾薬庫があった。
ずっと昔に神武寺駅は約9年間毎日乗り降りしていた駅だった。
なので、この周辺は詳しい。

 敗戦で米軍に接収され、そのままほったらかし状態が何十年もつづいたおかげで
「池子の森」と周辺の人達から呼ばれるようになり、オオタカなど貴重な動植物が
保護されている地域となったいた。

 ところが、現在もいろいろもめているようだが、結局は米軍人居住アパートが林立している。
その計画が発表された80年代後半、「池子の森」を守れと反対運動が盛んだったが、
ほったらかしにされて、たまたま残ったところが森になり動植物が残ったというのが実情で
それまでは森を整備し守ろうなどということはほとんどしてなかった。
しようにも、進入禁止だったから、何もできなかったわけだが。
 
 いわば棚からぼたもちの森だったので、わたしもデモに何度か参加したが
森の成り立ちの経緯を知っている人たちにとっては、
「池子の森を守れっ!」と振り上げる拳に力をこめることはできなかった。

2017年1月20日金曜日

『「日米合同委員会」の研究』を読んだ その5

 今はメルキュール横須賀ホテル(以前は横須賀プリンスホテル)が建っているが、
それ以前はここに米軍将校専用のクラブハウス(EMクラブ)があった。

 雰囲気のある建物で、日夜ジャズやビッグバンドが演奏されダンスに興じたという。
美空ひばりをはじめ、日本の音楽界草分けの人でここにきてない人はいないと言われるくらい有名どころであった。
 
 以前、沖縄で平和活動をしている方が、横須賀のベースを見学しにきて、
自衛隊と共存と言うか、当たり前のように同じ基地内で活動している様子を見て、大変驚かれていたことを思い出す。
ベースが街に溶け込んでいる異常な有り様が普通になっていることが、
基地問題をよく表している。

2017年1月19日木曜日

『「日米合同委員会」の研究』を読んだ その4

 2006年正月、横須賀で米海軍水兵による強盗殺人事件があった。
地元では海兵隊の基地のことをベースと呼んでいるが、
そのベースからほど近い米が浜というところでの事件だった。
 
 当時、わたしはその現場からそれほど遠くないところに住んでいたので、鮮明に憶えている。
その現場とわたしの住居の中間あたりに、元首相小泉さんの住居がある。
その後の事件の報道を見聞きするたびに、
横浜のファントムジェット機墜落のときの腹の底の埋もれ火がなお一層グツグツと煮えたぎった。

 基地のある街ではどこでもそうだとおもうが、ベースの周囲は異国の雰囲気でいっぱいだ。
特に空母が入港した時は、飲み屋街はどんちゃん騒ぎになる。
冬の夜半にがっしりした体格の二人連れが厚手のコートを着て、
巡回警備で街なかを歩哨しているのをよく見かけたものだ。
腕章にMPとある。
大きなニュースにならないだけで、ベースの街では水兵によるいざこざがたくさんあるからだ。
ここは日本なのだが、それとも日本ではないのか。

2017年1月18日水曜日

『「日米合同委員会」の研究』を読んだ その3

 20年以上前のことだったか、小学生の息子の夏休みを利用して、沖縄に行った。
小学生の子どもにはまだ少し早いかとおもったが、
わからなくてもよい、肌で感じられることもあるはずだと、
沖縄の戦跡を巡るツアーに参加した。
 
 飛行機が那覇空港に着陸態勢に入ると、低空飛行になることは知っていた。
例の嘉手納ラプコンだ。
飛行機に乗っていると海面がすぐ下に見え、そしてその区間が長い。
この大きさのジェット機が低速で超低空を維持して飛ぶ、危険に決まっている。
こんなことを何十年も続けている異常さ。


2017年1月17日火曜日

『「日米合同委員会」の研究』を読んだ その2

 1977年9月27日お昼過ぎのことだった。
ドガァーンと太く鈍い爆発音がした。
北側の窓がガタガタと震えた。
 
 母と二人で昼飯を食べ終わった頃で、母がその音に反応して直立した。
「飛行機が落ちた」
わたしはエッーとおもったが、
母は戦時中、中国は瀋陽で看護婦として働いている。
グラマンで機銃掃射されたり、爆撃機からの爆弾の下を逃げ回っている。
北側の空を見上げたが、煙はなかった。



 その日だったとおもうが、中途採用で10月1日からの仕事の辞令を受け取りに出かけた。
街の電気屋さんのテレビでは米軍機墜落のテレビ速報を流していた。

 そのときの、やり場のない怒りは今でもふつふつと腹の奥底で消えていない。

2017年1月16日月曜日

『「日米合同委員会」の研究』を読んだ その1

 戦争を起こし、負けるとはこういうことなんだと、改めて深く考えた。
北方領土4島という国土を失うということも、その結果だ。

 サンフランシスコ講和条約で国としての体裁は復活したものの、中身は
占領時代と変わらぬ状態が続いているということか。



 衣食足りて礼節を知るなんていう故事は、外務省官僚は知っているに決まっているが、
日米合同委員会の密室密約の仕組みの甘い黒い蜜の味を知ってしまった官僚たちは、
ズブズブと体すべてを浸らせてしまっているようだ。

 著者の吉田敏浩氏が指摘している通り、日米合同委員会の日本側代表達はみな国家公務員だ。
「憲法を尊重し擁護する義務を負う」彼らが、戦後ずっとその職務とは正反対のことを行い続けてきている。
 また氏は何度も外務省に対して、日米合同委員会の議事録等の開示を申請してきたが、すべて門前払いされている。そして2009年11月情報公開法の手続きにのっとり、文書不開示決定の取り消しを求めて異議申し立てをした。
 内閣府の情報公開・個人情報保護審査会で調査審議され、2012年6月16日外務大臣に対して、
「日米安保条約に基づく日米地位協定の民事裁判権に関する合意について記した文章等の一部開示決定」という答申書を交付した。
 ところがである。
外務省は4年たってもこの答申書に従わない。申請者である著者が何度問い合わせても、
「アメリカ側と協議中なので、開示するかどうかまだ決定できない」と繰り返すばかりだという。

 外務省は日本国民と日本国憲法をなめきってるな。
アメリカに対しては、薄笑みを浮かべ揉み手をしながらにじり寄り
「仰せのとおりでございます」とペコペコしている姿が目に浮かぶわ。

 審査会の答申には強制力がないことをいいことに、外務省は無視しているということだ。
そして、情報公開制度の実施状況を把握する総務省の担当者は
「これまで行政機関が答申に従わなかった例はきわめてまれである」と強く指摘しているとある。
騒いでいる奴がひとりいるぐらいの認識なのだろう、ノラリクラリしているうちにどうにかなる
「ほっとけ」これが外務省の結論だろうな。
だってもう4年も無視続けているからな。



 Samuels氏が『米国にとっても「二重の封じ込め」の道具』のひとつとして、
『米軍基地は日本を再び軍事大国にしない「ビンのフタ」でもあった』と述べている。
フタをされ続けていた日本政府は、ビンの中でその味を知り発酵し醸成した。
その味に酔いつづけている。
「そっちのミーズはあーまいぞ、こっちのミーズはにーがいぞ」
他の誰にもこの味をもらすものかと、ビンの中から自らフタをしめる技を体得していった。

 こんなことを想像してしまい、自分自身で身の毛がよだつ。
なんとしても密室密約を守り、米軍に憲法を無視して日本全土を自由に使わせているのは
日本政府の意向であることは間違いないが、その理由は
自衛隊を米軍と一緒に行動させれば、
政府は戦前のように日本全土を法律を無視して好きなようにできる、
そうすることができる唯一の手綱を失いたくないのだ。

 米軍が撤退すれば、日米合同委員会は解散だ。
ビンのフタがなくなる。
有事法制の議論があるが、そんな甘っちょろい手続きなど超えて、
フタを活用したほうがよっぽど手早い。
なんせ超法規的措置などという言葉をはるかに超えている密室密約があるんだからな。
悪魔に魂を売ってしまったな、外務省。

 さぁ、池上さんあなたの出番ですよ。
日本国のあり方を問う根本的な実態と問題提起、
あなたが適任です。
時間無制限特集番組でやってください。

2017年1月15日日曜日

朝日新聞 オピニオン&フォーラム 米軍基地のこれから を読んだ

朝日新聞 2017年1月14日 朝刊 15ページ 東京本社版




 米国MIT教授 Richard Samuelsさんの記事が明晰だ。
また、ちょうど私自身が今読み進めている本が『「日米合同委員会」の研究』なので
まことにタイミングがピッタシだった。

 氏の話の中には「日米合同委員会」という言葉は、でてこない。
敗戦後の日本復興にあたり、日本のとった方針(吉田ドクトリン)は、
防衛予算は少なく(安全保障は米国に依存)、経済的繁栄をめざし、
米国の安全保障に「ただ乗り」ならぬ「安乗り」をすることと、まことに歯切れ良い。

 その方針のために、吉田茂は占領軍の基地の維持を望み、米軍は駐留軍と名を変え
占領軍時代の特権をそのまま持ち続け現在に至っている。

 氏は2011年の東日本大震災のトモダチ作戦をみて、吉田ドクトリンを引き継いでいる現状を根本的に見直すのではと期待したとあるが、千年に一度と言われたあの未曾有の大災害でも見直すどころかびくともしない強固なものということがかえって示される結果となってしまった。
原発だって引き続き継続するというのだから、その強固さは異常だろう。

 あのとき、米軍は原発事故の上空を、くまなく放射能汚染の状況を調査飛行した。
風向きが北西に流れたので、首都圏に流れ込まなかっただけなのに
首都圏、特に東京中心部霞が関が汚染されていても、原発を続行させただろうか。
それら危機感の想像の欠如、または意識してそれらを考えないという国を司っている方々の思考回路の短絡さは恐怖以上のものを感じる。

 そして氏は、吉田ドクトリンに代わる国家戦略について、国民的な議論を深めるべきであったと指摘する。日本が自らの生き残りのために何を選択するかが、問われているからだとする。

 全くそのとおりだ。
国民的な議論をするためには、その土台となる様々な資料は公開されねばなぬ。
過去と決別し新しい国をつくり未来志向という政府が引き続き吉田ドクトリンを維持強化するのでは、基礎づくりからぐらついている。
 二重会計簿のようなことをすれば、その会社は潰れる。
非公開の裏帳簿をつくっている単なる協議機関である日米合同委員会は、国を滅ぼすつもりか。
巻き込まないでほしいと個人的におもっても、日本国民のひとりなのだから
それは無理っていうもんだ。

『「日米合同委員会」の研究』を読了したので、次はそのことを記します。


2017年1月14日土曜日

保温調理器具の宣伝

 保温調理器具のコマーシャルはほとんどない。
新聞・料理番組・テレビやラジオ通販・折込チラシなど報道管制されているのではないだろうかとおもうくらいない。

 これだけエコが叫ばれているのに、目にしないなぁ。
ホームセンターではたまに山積みにされて、宣伝販売している。
しかし、それ以外ではこれといって目立って販売されてない。




 シャトルシェフの営業が怠けているのかいないのかわからんけど
エコの大切さを説くのなら、器具を扱っている会社がしなくても、
世の流れとしてどこかしらが推薦するとおもうのだがねぇ。
他力本願はやはりいけないか。

 日本中で保温調理器具が常に使用されたら
原発数基分の省エネができるんじゃないかなぁ。


2017年1月13日金曜日

保温調理器具は便利でエコ

 シャトルシェフを2台使っている。
便利この上ない。
麺類が大好きで、素麺・うどん・蕎麦・スパゲッティなど毎日のように茹でてきている。
この調理器具を知ったのは10年前くらいだが、
それまでは茹で上がるまでガンガンガスで茹でていた。

 ところがこの器具は、沸騰したら麺類の様子を見て、
後は保温する容器に移すだけでよい。
今まで一体どれくらいエネルギーロスをしてきたのかとおもうと
なんとも気持ちの整理がつかない。
茹で上がりは、全く問題がない。

 家を新築した際に火力をIHにした。
便利だが、子どもが最初に使う器具としてはおすすめできない。
理由は簡単、「火を扱うのは人間のみ」なので最初からIHでは
人間になれない。
火の恐ろしさ便利さ、炎のゆらぎなど学べない。
火は体感として身に刷り込まなければならないものだ。
IHではそれができない。

 昨日IHの自動湯沸かしモードでゆで卵を作った。
いつもは普通に沸騰させて1分程度茹でてあとは保温し放おって置く。
自動湯沸かしモードは湧き上がると、音声で知らせてくれる。
すぐに保温器に移した。

 昼時に玉子を取り出し、殻をむこうとコツンとたたくと
あれれ、なんか柔らかい。
ありゃ~、生かとおもい、ソォーッとむいていくと
温泉卵ができていました。

 失敗は成功の母。
自動湯沸かしモードで温泉卵ができることを学んだのでした。


2017年1月12日木曜日

三菱製 エコキュートを修理した

 エコキュート本体上部に逃がし弁操作窓があるが、その蓋が半開き状態になってしまっていた。



数年前から気づいていたのだが、蓋を押し込むと閉まるのでそのままにしておいた。
昨年12月に、これではまずいとおもい三菱のお客様窓口にメールで相談した。

 正月明けに、サービスマンが見に来てくれた。
結果、本体が手前に傾いていると説明してくれた。
中の機器が手前に傾いたために、操作窓の蓋を押していたのだ。

 9年前に設置したのだが、今となっては施工ミスの可能性は高いが、
その原因を確定するのは困難だ。

 ついでに、他の部分も点検してくれた。
給水給湯パイプも取り替えたほうがよいといわれた。
当時取り付けたパイプでは、高温に耐えられづ内部のコーティングが剥げてきて、
それがヒートポンプユニットに流入し、故障してしまうようだ。
こうなると買い換えるしかない。

 取り付けてあったパイプを切り、指を突っ込んで見せてくれたが、
ゴムが溶けたような、墨汁のような黒い汚れが指にこってりとついた。



 三菱電機が取付業者へ、配管に使う素材を当時徹底して指示しておけばよかっただろうにとおもう。
わたしのところとおなじ素材の配管をした家はみな同じ状態のはずで、
いずれ、それが原因となり故障してしまうだろう。
配管については、リコール対象にならないのだろうか。
お知らせしてくれるだけでも、機器の延命がはかれるはずだ。

 3時間を超える工事だった。
傾きの修正と配管の交換工事は順調に終了し、最後にいろいろな説明や
わたしからの質問に丁寧に応対してくれた。
優秀なサービスエンジニアでありがたかった。

 台所リモコンに残湯量(お湯の量)が、満タンで目盛り4つで表示されるが、
サービスマンはその表示を、
湯量ではなく、温度なのです、
という説明が意外だった。
これについて、考えてみた。
なお、タンク内の湯温が45度以上になったときに、この目盛りが一つつく。

 取説を初めて読み込んだ。
ネットでも調べた。
貯油タンクの中は使用中は常にこうなっている。



 タンクの中が常に満タンになっていることをすっかり忘れていた。
取説にもちゃんと書いてあった。



 風呂のお湯をはると、約180L使うので、タンクの中はお湯を使った分、
低温の水が補充されるので、タンク内のお湯の温度は下がる。
とおもったのだが、風呂の湯を張り目盛りが二つのときの湯温を見ると
満タンの4目盛りのときと同じく71度だった。
はてさて、どう理解したらよいものか。

 使えるお湯の量が2目盛り減って、残湯量は2目盛りになったということが
パネルからわかる。
確かにお湯の量を表示している。
サービスエンジニアが教えてくれた温度という表現は、
45度以上のお湯がありますよ、ということか。
45度以上から約90度までのお湯になっているということがわかる
ということでは、間違いはない。

 結局、タンクの上部に溜まっている45度以上のお湯の量が表示される
という理解にしておこう。

 まっ、年に何回かは自分で点検しなくちゃいけないということがわかりました。
15年位は持つということだったので、あと約6年もってくれればいいか。
買い換えるとしても今から積み立てないとな。



2017年1月11日水曜日

「図解 知識ゼロからの林業入門」を読んだ

 執筆者18名総力戦の入門書、ではなくてかなり突っ込んだ内容の本だった。
どこからでも読める。



 ページ下端にある用語の説明が、ジジイのわたしには字が小さすぎた。
古代より人と木の関わりようを要点をまとめながら眺めさせてくれる。
おすすめ度、星5つのうち星4.5です。
入門書とはいえ、各章の区切りで更に興味を持った人のために
おすすめ本を数冊ずつ紹介してくれるとうれしかったな。



 現在、西川材と呼ばれる材木を育成している地域の住人だが、
地場産業の振興として、「顔の見える木材での家づくり」と「家具づくり」がやはり
うなずける。
ここには、大きな帯鋸をもつ製材所はかってかなりあったらしいが、
現在では2,3軒になってしまった。

 材木の原木市場のせりで丸太を購入し、



一昨年の夏にその一軒でケヤキの丸太を製材してもらったことがある。



家具を作る板にするまでには、大変な手間がかかることが身にしみてわかる。



 西川材は江戸時代には名栗川、高麗川、越辺川をとおり荒川を使って江戸まで運んだ。
立地に恵まれていることを、この地域は現在活かしきってないような気がする。
今からでも遅くはないから、この本の提言にあるように
林業をテコ入れし、荒川に変わる新しい河を創ることができればとおもう。
わたしはもう先が見えているが、お手伝いできることがあれば
寝食を忘れて尽くす覚悟があります。ハイ。



2017年1月10日火曜日

ブレーキとアクセルの踏みまちがいの事故原因におもいあたる

 加齢による判断ミスと運動機能の衰えを原因にすることが多い。
そうだろうとはおもうのだが、因果関係を科学的に捉えた検証はされているのだろうか。

 私自身のヒヤリハットから、これも原因の一つになるのではないかということがある。
同じ感覚のことを3回経験している。
一つは10年近く前、数年前にもう一回、そして一昨日した。

 どれも、同じ条件だったので3回目になって、
踏み間違えミスって、これも関係あるんじゃないかと考えた。

 こんな状況で起こった。
両側か片側にすでに車が駐車しているところに、わたしの車がバックで駐車する。
わたしの車がほとんど駐車終了になるかならないかというときに、
隣の車が発車する。
ここで、結構ヒッやとする錯覚が生まれる。

 自分の車はほとんど動いてないか止まっているのに、
(脚の操作はブレーキにのせているか、強く踏み込んでいる)
まだ後ろに動いているような、感覚がしてしまうのだ。
そうすると、自分ではブレーキを踏んでいるはずなのに、
自分の車が動いているのは変だ、踏み間違えているのではないかと
かなりあせる。
一瞬、今のせているか、踏み込んでいるペダルから脚を離して隣のペダルを踏み込んでしまう
動作になりそうになってしまう。
怖い。

 バック中にそうして隣のペダルを踏んでしまったら、それもあせっているので
強く踏み込んでしまうだろう。
そして、急加速してぶつかるか、道路に飛び出すか、駐車ビルから落ちるかになる。
ゾッとするな。

 せめて隣の車が駐車が完了するまで待っていてくれさえすれば、
防げる錯覚なのだが、そこまで考えている運転者はいまい。
私自身この錯覚を防ぐために、駐車中に隣の車が動き出したら
あわてずに、まず自分の車を止めることにしている。

 しかし、これでもやはりひやりとすることはあるので、
駐車する両(片)側の車に運転手が乗っているかどうか、
発車しそうかどうかまでも、確認するようにしている。
夜や雨の日などには確認しづらいので、不十分なのだが。

 それにしてもあの錯覚、
止まっているのに、動いているような感覚、
コワイな。

2017年1月9日月曜日

社台牧場カレンダー

 今年のSHADAIカレンダーの表紙がイイな。



例年は特に見入ることもなく、1月のページにしていたけど
今年はまだこのまんまだ。

 カメラ目線でキッとこちらをにらみ、
左顔と右顔のアンバランスな配置もいい。
そして頭絡がこれまたいいつやできれいだ。
ぼくもつけてみたい。

 気になって、まだ捨ててない昨年の表紙をみた。
うん、今年のほうがデザインアップでイイな。



 カレンダーに貼ることができるように
小さなシールもついてくるんだけど
使ったことがない。
今年はペタペタはってみるか。
とおもって、封筒の中を見たら入ってない。
もうやってないのかな。

 午年でないのが残念だな。

2017年1月8日日曜日

明星即席ラーメン

 暮れから今日まで、年末年始はお天気に恵まれ日中は暖房も切って
穏やかな毎日だった。
今日は午後すぎから冷たい雨が降り出した。
わたしの街では今日が成人式。
今日に限って雨なんて、かえって思い出に残る式になったかもしれないけど、残念だね。

 こんな雨降りの日曜日になると、条件反射的に
昔のコマーシャルソングを思い出してしまう。
「雨が降ってる日曜日〜」ではじまる、明星即席ラーメンの歌だ。

 ネットで検索すると皆さんわたしと同じらしくて、たくさんヒットする。
「パパと一緒に」食べたことはないけど、
袋麺2人前に玉子落としてキャベツをくわえ、よく食べていた。
今でも、ときたま買って食べる。
玉子とキャベツも同じだ。
50年以上食べていることになるな。

 あれ、変だな。
そうやって食べていたのは、日清のチキンラーメンだ。
勿論、明星即席ラーメンも食べていたけど・・・
うーん、ダメだ。
完全にこんがらがっている。
う~~~ん。



2017年1月7日土曜日

印鑑入れ その1

 早速作った。
ケヤキをくり抜いて、蓋は黒檀。



 蓋は栗にしとうとおもったのだけど、
合わせてみたらお棺みたいなので即、却下。
蓋をどのように固定するか考えた(本体と蓋を溝やアリで滑らせる・テーパーをつけてかしめる・丸棒でヒンジ作成など)けど、
キツめに調整してはめるだけにした。

 先々、ゆるんでくるだろうけど、
そしたら紐でしばればいいや。



 石の印鑑は、直径が15ミリ、長さ70ミリなので
くり抜いた寸法はほぼそれにピッタシのサイズにした。
なので入れてもカタカタ音はしない。

 フタを開けるとお地蔵さんが入っているようで
おもわず合掌してしまうな。





2017年1月6日金曜日

獅子印鑑 香港土産

 久々にこの印鑑の出番があった。
20年前位の香港土産だが、写真にとってアップで見るのははじめて。
いろいろアラがあるな。
わたしの木工作品と同じだ。



 この印鑑入れを作ろうとおもってから、これまた随分と経ってしまった。
年度初めの作品はこれにしよう。



2017年1月5日木曜日

お盆のはしばめ

 かって職場の建物の大改修のときに使われた地元西川材の端材を使用した。
きれいにできたら、事務室でそのまま使ってもらおうかとおせっかい心がでたのだけれど。



 4年前に作って、乾燥の厳しくなる季節になると
はしばめ部分がこんなにでてきてしまう。
居間の簡易湿度計は20%以下。





四隅全部だ。
こんなに小さいお盆でこんなに伸縮をするものかと驚く。
湿気が普通になるともとに戻る。

 押し入れにもう一枚あったのをおもいだして確かめたら、伸縮はなくピッタシにおさまっている。
これを居間に置いてどうなるか試し始めた。
さて、どうなるか。



2017年1月4日水曜日

父の祥月命日

 明日が祥月命日なのだが、
一日早く、供花をしてきた。
明日はお線香でお参りしよう。

 早いもので父が亡くなって17年もたった。
そのときのことは忘れるはずもないが、
ただただ、早いものだと感じ入るばかりだ。


2017年1月3日火曜日

「明治維新という過ち」原田伊織 を読んだ

 憤りの感情がほとばしり渦巻きその飛沫で伝えたい事が見えなかった。
読み進めるのが意外と手間取った。
そこそこ楽しめるのだが、著者の文体と内容の進め方がそれを妨害する。
星5つを満点評価で、星1つ半。



 半分の星は、あとがきの分です。
あとがきを最初に読めばよかった。
憤りのしぶきの向こう側にあったのはあとがきに集約されていた。
あとがきはまあまあだ。
引き込まれたのはあとがきだけだ。

 上総請西藩林家一万石の殿様、林忠崇の話はおもしろい。
その殿様の句、イイなぁ。
『琴となり 下駄となるのも 桐の運』
こういった句は大好きだ。




2017年1月2日月曜日

2017年今年最初の木工は

 菜箸をみがいた。
いつもの作業部屋は寒いので、陽の当たる居間でゴシゴシ。
ガラス瓶でそこそこの力でしごくようにこすると、ピカピカ艶が出る。



しばらくすると、ツヤは失われてしまうが、まぁ見た目は良くなる。
ほぞをきつい穴に入れたとき、あたっているところが強くこすられてツヤツヤになるのと
同じしくみだ。
ただ、塗装の種類によっては、ノリが悪くなるのでやめたほうがよい。

 相撲の土俵をつくるときの、仕上げにビール瓶で叩いているのをみて、これはイイと導入した。
その後調べてみると、木刀などの仕上げに瓶でこすったりしているようだ。

 無塗装で、最初の見た目でツヤがほしいときにこの方法をつかっている。
またそうすると、気が付かなかった小さな傷や逆目が目立つので、役立っている。





2017年1月1日日曜日

ケヤキの杢

 10年近く前だろうか、手持ちのケヤキ板の端っこに杢があるのに気づいた。
切り取られている2辺は製材のときにカットされてしまったようだ。



なくさないようにこの部分だけを切り取って今に至っている。
数年前に、2枚にした。



ブックマッチで何かに使うことができるかもしれないが、板が小さすぎる。

 画像では色が正確にでないが、銀色の鈍い灰色とは違うが、そんな地味な感じの色。
羽根が積みかさなったような模様になっている。



何かに使えるとおもうのだが見つけてからというもの、
これに使おうというアイデアが浮かんだためしがない。
うーん、何かに使いたいのだけど・・・