日記の随所に記されるのが、老婆や婆婆の語りや様子である。
その目がこれまた暖かくおもいやりにあふれる。
天明8年6月27日のこと
サイ川へ休みたる図が老婆との会話の様子を彷彿とさせる。
この図、色々と興味深い。
江漢も従者も笠をかぶったままだ。
食事するときはぬがなかったのだろうか。
老婆もだが小童の衣服がつぎあてだらけ。
老婆の表情は柔和で、小童はにぎりめしを嬉しそうに食っている。
江漢は左利き?
右手にコリ(梱)を持ち、左手に箸を持っているではないか。
握り飯を直接手に持って食わず、箸を使って食っていたんだな。
その左手の向こうに描かれているのは、脇差しだろうか。
従者は荷物を背中に背負っていたと想像したが、天秤棒だったんだな。
その老婆が語る。
天明の大飢饉の最後の年にあたるときだが、やはり不作だったのだろう。
やっと収穫できそうになった、「ヒエ・麦に芋の食にいたします」という状況。
その上、「昼は猿のばんをいたし、夜は猪を追い」「畑の廻りにかこひを」するが、
「猿は其のかこひを飛び越して、麦やヒエをあらします」。
猿も猪も山に食うものがなく、畑を荒らしたのだろう。
この後の日記にも、江漢は晩に猪を追う農民の声を聴きながら眠りについている。
わたしの住んでいるところも、猪・鹿があらわれる。
つい先日も、庭先に鹿の親子と対面したぞ。
ここからもう少し西に行くと、猿もでる。
それらの獣たちが、作物を荒らす。
このあたりの年寄りたちは、自家菜園でいろいろな作物をつくる。
サイ川の老婆と同じで囲いを廻らす。
追い立てもする。
しかし、獣たちも必死である。
収穫間際の作物がやられると、ショックはでかい。
落ち込んで寝込んでしまった年寄りを何人も知っている。
図の中で語る老婆のはなしは、とても230年前のこととはおもえない。
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