2018年3月8日木曜日

司馬「江漢西遊日記」の旅 その3

 日記の随所に記されるのが、老婆や婆婆の語りや様子である。
その目がこれまた暖かくおもいやりにあふれる。

天明8年6月27日のこと
サイ川へ休みたる図が老婆との会話の様子を彷彿とさせる。



 この図、色々と興味深い。
江漢も従者も笠をかぶったままだ。
食事するときはぬがなかったのだろうか。

 老婆もだが小童の衣服がつぎあてだらけ。
老婆の表情は柔和で、小童はにぎりめしを嬉しそうに食っている。

 江漢は左利き?
右手にコリ(梱)を持ち、左手に箸を持っているではないか。
握り飯を直接手に持って食わず、箸を使って食っていたんだな。

 その左手の向こうに描かれているのは、脇差しだろうか。

 従者は荷物を背中に背負っていたと想像したが、天秤棒だったんだな。


 その老婆が語る。



 天明の大飢饉の最後の年にあたるときだが、やはり不作だったのだろう。
やっと収穫できそうになった、「ヒエ・麦に芋の食にいたします」という状況。
その上、「昼は猿のばんをいたし、夜は猪を追い」「畑の廻りにかこひを」するが、
「猿は其のかこひを飛び越して、麦やヒエをあらします」。

 猿も猪も山に食うものがなく、畑を荒らしたのだろう。
この後の日記にも、江漢は晩に猪を追う農民の声を聴きながら眠りについている。


 わたしの住んでいるところも、猪・鹿があらわれる。
つい先日も、庭先に鹿の親子と対面したぞ。
ここからもう少し西に行くと、猿もでる。
それらの獣たちが、作物を荒らす。

 このあたりの年寄りたちは、自家菜園でいろいろな作物をつくる。
サイ川の老婆と同じで囲いを廻らす。
追い立てもする。
しかし、獣たちも必死である。

 収穫間際の作物がやられると、ショックはでかい。
落ち込んで寝込んでしまった年寄りを何人も知っている。

 図の中で語る老婆のはなしは、とても230年前のこととはおもえない。



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