2018年3月14日水曜日

司馬「江漢西遊日記」の旅 その7

 箱根の関所など主街道で役人の改めについて、全く触れられていない。
男二人だったので、そのまま通行できたのか、どうなんだろう。
一方で、酒肴や食事などを接待する役人については、記されている。

 いろいろな海外を紹介する図など所持しながらの旅であったはずだから
それなりに持ち物を調べられたはずだとおもうのだが、
そんなこはなかったかのように、日記には出てこない。

 調べられた様子を記しているのは、このあたりのみである。
天明8年10月25日長崎での出来ごと。
「天気。江戸会所より門の切手を請取り、吾が後に従ひ、勝木利兵衛、外に長崎の者二人来る。門を入所にて、ふところ・袂を改む。何者にても持ち入る事を禁ず。・・・」

 関所の改めの様子など詳しく書くと、
おとがめをうけこの西遊日記が出せなかったのかもしれない。
実際、この日記の前に出した、「西遊旅譚」は久能山之図の東照宮を描き、不敬のとがめで絶版を命じられているからな。


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