2016年9月6日火曜日

父が帰ってくるとき  その9

 父は70歳を過ぎた頃から、横浜には帰らなくなっていた。
池袋まで出てきて、食事をしたり、連れて行った孫を見に来たりはしていた。
ボクは父に新居にきてもらいたくて、車の免許をとった。
乗せてこようかと計画をしたのだが、実現しなかった。

 父は亡くなる前年の夏、兄の車で横浜を往復し一泊した。
父からの希望で、横浜を見たいのだと兄に連絡があった。
横浜への車の中で父は上機嫌だった。
兄の車の天井を杖の柄でさかんに突つき、
横浜に着くまでずっとボコボコと大きな音を出し続けていたそうだ。
港の見える丘公園や父の生まれ育った街を車で巡った。

 父は死期がわかっていたのだろう。
最期に自分のふるさと横浜を見ておきたかったに違いない。

 父の葬式が終わり、帰宅した。
車で3時間位かかった。
自宅の玄関に近づくと、あの匂いがした。
父の匂いだ。
父がきてくれている。
ボクは
お父ちゃんどこのいるの と声に出しながら
家に来てるなら出てきてっ と
家の中を探しまわった。

 匂いのする方を追いかけた。
部屋に入ってもいない。
次の部屋に入ってもいない。
そうするうちに、匂いはしなくなった。
死んでからとはいえ、ボクの家にきてくれたことがうれしかった。


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