2019年7月3日水曜日

テープレコーダー その15


 父は旧制高校のときに病気で休学した。
遅れを取り戻そうと、猛勉強をして飛び級で大学に合格した。
医学部である。そして医者になった。
母と一緒になる以前、父は婿に入り、子を数人もうけていたという。
しかし、結婚生活はそう長くは続かず、離婚している。

母は一度だけ、離縁したその方はどんな人だったんですかと父にきいたと言っていた。
情の薄い人だった。
それ以上父は何も言わず、母ももう何も聞かなかったという。


 父とボクは高校の、父にとっては旧制中学の、同窓生である。
高校の同窓会名簿を見ると、父の名前は婿入した家の姓名でのっている。
その同窓会名簿、父と同世代の連絡先をみると「戦死」が多い。
父の従兄弟は職業「医師」、連絡欄はやはり「戦死」と記されていた。

 ボクがこの高校に合格したとき、父は喜んだ。
いつもどおり土曜日の午後父は帰宅し、いつもの定位置の椅子に座り、新しい制服姿のボクを眺めている。
校歌が当時のままであることに驚き、
制服も詰め襟のところの蛇腹も変わってないんだなと
見つめる目は、どこか遠くに投げやられていた。

 父が家に帰るとき、ボクは父の匂いを感じ、母は耳の穴の奥が痒くなった。
ふたりのその第六感が一致すると、まず間違いなく父の車は家の近くまで来ている。
外れたためしはなかった。

 ボクが生まれ育ったこの県営住宅は、それ以前は学校の敷地だった。
父の母校なのである。
何気なく父が教えてくれる。

南側の公園の右を指差し、あそこの凸凹の階段の上のところに、石の柱があるだろ、
あの柱にこわれた鉄の丁番みたいなのが見えるか?
あそこは裏門のあとなんだよ、

 横浜市街から一山越えて通学しているときはこの裏門からがいつものコースだった。
遅刻しそうになるとあそこの角から抜けてきて、裏門から階段を飛び降りるように教室へ急いだという。

 東側の窪地があるだろ、
以前は鶏屋さんになっていて玉子や鶏糞を販売していたところだ。
あそこにはテニスコートがあってさ、一度もやったことはなかったけどな。
それに、雨が降るとすぐ水たまりになってぬかったよ。

父は母校の跡の県営住宅に入居するとはこれっぽちもおもっていなかったろう。
ボクは父のそんな学生時代の思い出話を聞くのが好きだった。


 中学3年のとき進学先を決めるための三者進路相談のときだった。
担任はボクと母にこの高校とは異なるところを勧める。
当時大学紛争が高校へ飛び火してきていて、担任としてはその恐れがなさそうな高校へと勧めたのだろう。
しかしボクは、心に決めているこの高校に進学したいと、有無を言わさず宣言した。
担任は理由をきいた。
父と同じ高校に行きたのです。
母がうなずくのをみて、担任は渋々了承し、面談は終了した。

 中学校からの帰り道、母がうれしそうにボクの後ろを追うようにして話しかける。
お前はいつからそんなにハッキリものをいうようになったんだい、
お母ちゃんはうれしかったよ、
先生、目を丸くしてたねぇ〜。
ボクは少し胸をはった。母の笑顔が嬉しかった。

 その高校への進学は、情けぬことだが、ボクの唯一の父への親孝行だった。


(つづく)


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