2019年7月15日月曜日

テープレコーダー その27


 ボクは母にとっては最後の子どもだった。母が父と生活するようになって一番貧乏だったときの子どもだった。だからかどうだかはしらぬが、ボクが赤ちゃんのときの写真は一枚もない。
別にひがんではない。なかったからないのだとおもうだけだ。

 幼稚園も行かなかった、否、行けなかった。
兄は幼稚園に入園したときの嬉しそうなニコニコ顔の写真がある。なぜかランドセルをしょっているのだ。おかしい写真なのだがボクのときより家計の金回りがよかったことがわかる。
 同じところに住んでいる同い年の友達が全員幼稚園にかよい始めて、午前中一人きりになってしまうと、すこし寂しかったことを覚えている。

 住んでる家の目の前は公園だった。
砂場、鉄棒、滑り台、向かい合って座るカゴのようなブランコ、一人乗りのよくあるブランコ、ジャングルジム(息子が生まれて一緒に入って遊んでいたらボクはでれなくなってしまった)など遊具もあって中規模の市が管理している公園だった。
 寂しくなると、そこのすべり台の斜めになっている台のところ、台の両脇のペンキが剥げたところに手のひらを当ててそのザラザラ感をたしかめながら、寝ころがり空を眺めて過ごした。いつ寝ころがっても青空がとてもきれいで、あきることは一度もなかった。
フッとねおちたこともあったが、まぶたを開けてもまだ青空だった。


 でもあの日の夕方は雨だった。
ざあざあと道路にうちつける雨の音がきこえる。
雨の日は雨の音を聴くと退屈しないよって教えてくれた母の声がした。
買い物行くけど一緒に来るかい、
雨降りで退屈していたボクは答えるよりも早く傘を持って玄関を出ていた。

 商店街へ買い物に出るには、坂を降らなければならない。
ボクと母が歩く先へ雨が流れてゆく。
坂の下に何百年も前からある大きなお寺があり、地元ではその坂はそのお寺の名前で呼ばれていた。
そのお寺を左手にしてまっすぐ数十メートル歩くと商店街の十字路に出る。
そこを右に曲がり商店街を直進して左の並びに郵便局があるのだが、その数軒手前が母が目指したお店だった。


(つづく)


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