横浜からみれば、父が新しく生活を始めたところは田舎だった。
噂が広がるのは電話より早いとは暮らしてみての都会育ちの父の発見である。
忙しい父は当然のことだがそうそう横浜の家へ帰ってこれなかった。
また、夫婦同士の、大人同士の、親戚関係同士の複雑な入り込んだ話し合いがあったかもしれない。
それでも、そのまま子どもたちは育ち、父は稼いだ。
母は、ボクが小学校高学年になる頃だろうか、父にせっかく電話線も引いたことだし、毎日じゃなくてもいいですから、子どもたちに電話をかけてくれませんかとお願いしたという。
いや、もしかしたら逆かもしれない。子どもたちとのためにと父に頼み込んで、電話債券という高額な支払いをして引いたのかもしれない。
それから一週間に何度か電話がかかって父と話すようになった。兄姉弟が順番にでることもあったし、ひとりだけでてすぐ切ることもあった。しかし母は一度もその電話にでることはなかった。
そのような電話が先だったのか後だったのかはわからぬが、土曜日の夕方には父が帰ってくるようになっていた。
それまで必要なときや緊急のときは近所の家に借りていたのだが、これはめったにしなかった。
たいていは小銭を握って、タバコ屋兼乾物屋兼駄菓子屋の店先にある赤い電話で用を足していたようだ。ボクが誕生するとき、母は苦しみながらお産婆さんに電話したのはこの赤電なのだ。そして
おばあさんが湯浴みした盥(たらい)で産湯につかった。
電話が引かれてすぐに、兄に赤電からかけてみろと10円玉を持たされた。
全速力で赤電に飛んでった。受話器をとりあげて10円玉を入れる。
受話器をとったら先に10円玉を入れるんだぞ、いいな。
受話器をとって、10円玉を入れる、うん、これでいい。
なんか聞き慣れない音が繰り返されて聞こえてくる、ツーツーって。
ダイアルしようとして、小さな番号が書いている丸い穴のどれに指をつっこんでよいかわからない。
6桁の自分ちの電話番号を覚えていなかった。
我ながら情けぬ。
すっ飛んで家にもどったら、兄がチラシの裏に電話番号を殴り書きしたものを持って待っていた。
バカっ 電話かけるのに番号を知らないでかけられるかよ、ほんとにバカだな、ほらこれもってけっ
さっきよりもっとはやくすっとんで赤電に向かって、落ち着いて10円玉を入れようとしたが、あれっ
10円玉がない、やばい、またおにいちゃん怒られる、どうしようどうしよう・・・
ねえねえ、と声が聞こえる、受話器をグッと握ったまま目だけ向けると、タバコ屋のおばちゃんが、そこそこと、指さしている。
赤電の機械の下のところの硬貨の返却口を見た。
おっ、10円玉だ。お礼も言わずに、その10円玉とって入れる。
お兄ちゃんが書いてくれた番号をみながら指先をつっこみ、ジー、ジー、ジーとダイアルする。
8や9の数字は回してからもとに戻るのに時間がかかりもどかしい。
1や2だったら次々とすぐに次の数字を回せんるんだけどな。
ルルー、ルルー、ルルー、と呼び出し音がして、兄が出た。
ウフフ、ねぇ、ボク誰だかわかる?
バカッ、電話していきなりそんなこと聞くやつがいるか、
これが、はじめての電話だった。
(つづく)
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