2019年7月10日水曜日

テープレコーダー その22


 そんな父でも、母の実家に気を使わなかったはずはない。
ボクがまだ小学校に上る前だったとおもう。
ボクの家族全員と、母の両親、もう十分に爺さん婆さんだった、計7人で奥伊豆に2泊3日の旅行をしたことがあった。仕事の都合で父は1泊しただけで帰ってしまった(ような記憶なのだ)が、祖父母は大層喜んでいた。
祖父はチラシを和綴じにしたものを常に持ち歩き、一句ひねってはそれに記していた。

 その奥伊豆の二泊目は場所を移動したために宿を変えた。
部屋に案内された一行は、中居さんがお茶を入れてくれている席で、ボクは
おにいちゃん、前の旅館のほうがきれいでよかったね、とご機嫌で言ったとたんに
兄の釣り上がった厳しいなじるような目でにらまれてしまい、自分が何かまずいことをいってしまったことは気づいたのだが理由がわからず、祖父母や母の表情をみるのだがニコニコしているだけであった。

 祖父のこの旅行の御礼の手紙がある。
祖父は自宅周辺の地域で書道や俳句・短歌の先生をしていた。
達筆すぎて、判読不能の箇所(*のところ)も多い。古文書の学習が少しは役に立った。

「拝啓
春暖の候 益々御清祥お慶至極と存じ上げます。
*****お心にかけられ老夫妻を最も印象深い奥伊豆御招待され
何共有かたく思い奥伊豆の風物に接することは夢にして実現など
心にもなかりしを実現させて頂き一生の思い出となり
しみじみ生甲斐を感じる次第であります。昨二十七日午後二時両人共
元気にて帰宅いたしました
不取敢書中にて御礼申し上げました
              **
三月廿八日 (祖父の姓名)
(父の姓名)様
      侍史

暖きこ古こ*を杖に伊豆の旅
            **」

 宛先は父の住居兼診療所になっており、上質の和紙を長細く巻紙のようにして認めた書状になっている。その紙はどうやら幅のある和紙を半分にして巻紙状にしたもののようで、ハサミで切ったのではなく折り目をつけてから、定規を当て裂いたようにしたものだった。裂いたところが毛羽立っていた。
 祖父から見れば父は息子くらいの年齢に違いないのに、文面は最大級の敬意を込めたものだ。
祖父の父への心遣いがうかがわれる。

 祖父が死の床に着いたとき、母は電車を乗り継ぎ急いで実家に向かったのだが、あと少しというところで間に合わなかった。祖父は死ぬ間際まで母の名を呼び、まだかまだかと・・・、それが最後の言葉だったという。


(つづく)


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