2019年7月9日火曜日

テープレコーダー その21


 父の他県の新生活の場所は、母が生まれ育った県であった。
母は百姓を生業とする12人兄弟の長女である。
父はこんなふうな状況になってしまったことを母の両親に伝え説明しているはずである。

 昨年、70年以上住み続けた横浜のアパートを去った。母が介護施設に暮らすことになったからだ。
荷物を整理する中に、父の母と一緒になることの許しを得る手紙が見つかった。母の父が娘に持たせたものを、母はずっと押し入れの奥へしまっておいたまま忘れていたのだろう。
その手紙の最後を見ると、父の名前は婿入した姓名になっている。
中国の勤務地で母と知り合い、母と一緒に生活するために離婚したということになる。
どうやらボクは思い違いをしていたようだ。
だが、もうそんなことはどうでもよい。

 その、こんなふうな状況になる前のこと、敗戦後内地に無事もどることができ父が母の実家に挨拶に訪れたことがあった。母はそのときすでに実家に一足先に帰っていた。
 母の実家にしてみれば、長女の夫が都会育ちの医学博士であること、既婚者であることに一歩も二歩も引き下がるような気持ちであったようだ。少し前のことであれば百姓の娘と都会育ちの医学博士の婚姻である、身分違いという言葉が浮かぶ。

 父が挨拶に来ると知って、近所の農家にもお願いして白米を集め、たくさん食べてもらうようにしたという。しかし、父は一口も手を付けずに、帰っていってしまったと母がその時の様子を聞かしてくれた。あんなに苦労して用意したのにと、背を丸くしてうつむく母であった。


(つづく)

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