父の家へ電話をかけることはまれであったが、どうしてもというときはかけざるを得なかった。
しかし百回近く呼び出しがなっても出ないのである。運良くつながると、むこうのおばさんがでる。
父をお願いしますと告げて、ようやく父と話す次第となる。
父に所帯を持ったボクはうちで簡単な喜寿の祝をしたいから招待したいとの内容の手紙を書いた。
父にとって孫である息子を見せに横浜の実家や池袋に連れて行って会わせたことはあったが、一度も我が家には来てくれたことがなかった。なのでそちらまで車で送り迎えも全部ボクがするから是非にとの願いをこめて書いた。車の免許もその頃にとったのが、それが理由だった。
しばらくして、母からお父ちゃんからだよと封書を手渡された。
池袋の中華料理店で会食するボクと姉の孫四人を前に笑顔の父の写真が2葉同封されていた。
『十六日書状落手 何の風の吹きまわし
か 最近の天候異変は いよいよ人間
にも及んできたらしい
それでも 手書きで 老父に便りを
よこすとはよいことだ 王陽明の知行合一
の説を俟つまでもない 殊勝さをめでて
壱枚同封 目下ピンチの由 酒でも
飲みたまゑ
来年三月の件 何分七十八才という
高齢にもなると何時どうなるやら
わからないので余り先々のことは一切
きめないことにしているけれども まあその頃
元気だったらゆくつもり
以上取り不敢所要のみ
4・11・19 5a.m. 老父より
** どの』
コクヨ ケー30 20✕10 の薄緑色の原稿用紙に書かれた父の癖字はしっかりとした手跡だった。
1万円札が同封されていた。普段使いではない方の財布に入れ記念に何年間かは使わずにとってあったのだが、いつのまにかなくなっていた。
ボク宛の父からの手紙はこの一通だけである。
父らしい内容である。
読むたびに、読む時間より余程長い時をどこを見るでもなく想いを馳せる。
(つづく)
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