2019年7月1日月曜日

テープレコーダー その13


 ボクの父方の祖父は、明治11(1879)年生まれである。
明治政府は西欧化に邁進していたが、まだまだあちこち江戸時代の名残以上のものが随所に残っていた頃である。明治の世になったとはいえ、江戸時代後期といってもなんらおかしなことはない。

 祖父は当たり前なことだが、江戸時代に生まれ育った人を親に持ち、そして育てられた。
ボクはその祖父に普通に接していたから、考えてみれば祖父を通して江戸時代の空気を吸っていたことになる。機械だけが昔を記録し伝えるわけではない。

 祖父が15歳のとき1894年、日清戦争が始まった。
それから10年後祖父25歳のとき、日露戦争が始まった。
そしてさらに祖父35歳のとき1914年には第一次世界大戦である。
さらにさらに、1923年祖父44歳、関東大震災である。

 祖父は横浜の繁華街で紙工店を経営していたが、一瞬にして全てを失った。
使用人を何人も雇い、住み込みの従業員も数名いたという。
ちなみにボクの本籍はいまだその会社のあったところの住所になっている。

 しかし、祖父は踏ん張った。
並大抵の苦労ではなかったろう。
会社を再興し、以前にも増して立派な紙工店を経営した。
このときの古地図を見ると、商店街の一角に祖父の名前を店名にした紙工店がある。

 ところが1941年祖父62歳のとき第二次世界大戦が始まり、
祖父66歳のときに5月の横浜大空襲で、横浜の繁華街は一夜にして焼け野原になってしまった。
もう祖父に再び立ち上がる気力は残っていなかった。


(つづく)


0 件のコメント:

コメントを投稿