2019年6月28日金曜日

テープレコーダー その10


 そんなことがあったときから、約20年後
ボクの結婚式で父がウナッていた。

たーーーかーーさぁーーごーや〜〜〜あ〜〜
こぉーーのーーうーらーーふーーねーーに〜〜〜

 これは録音ではない。
実演である。

 あのときのことを思い出していたのは言うまでもない。
右手人差し指を左手でつつみこみ、さすった。
やはりスコシミジカクナッテシマッタヨウナキガスル
気のせいだけだろうか。
はたして兄は思い出していたかどうか、兄の方をチラッとみた。
いつもどおりだった。
酒をたらふく飲んだのか顔が赤い。珍しいことである。

 披露宴の前の結婚式に母はいなかった。
遅刻したのだ。

母は遅刻グセなどというものではなく、病的に遅れるのだ。
大切なときほど必ず遅れる。
だからボクはほぼ100%の予測で母は間に合わぬだろうとおもっていた。その通りになった。
たとえ我が息子の結婚式だろうが、遅れるときは遅れる。

遅れてきた母は素知らぬ顔をしている。何もなかったかのように。
その日、父は何度も母を促したらしい、早くしろ早くしろ遅れるぞ。
父は怒って先に出かけてしまった。
家に一人になってしまった母は一体そのあと何をしていたのだろう。
地元での結婚式である。土地勘はある。どこで混むかも知っている。どうすれば混雑を回避できるかも知っっている。どれくらい前に家をでなければならぬかもわかっていたはずだ。


 若い頃、中国の戦地では軍隊同様の看護婦生活をして、時間を守らねば命にかかわることの経験など肌身にしみて骨の髄まで染み付いているはずじゃないか。

 戦地の病院で一緒に働いていた婦長が横浜駅に帰還したとき、新聞でその名前を調べ
汽車が来るのを今か今かと待ち構え、停車したその窓にやっと婦長の姿をみつけ、
婦長殿Tでありますと名のりをあげ、直立不動の姿勢で出迎えたことがあったではないか。
そのときは遅刻なんてしなかったよね。


(つづく)

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