2019年6月9日日曜日

6月6日 D-Day 75年 その4


 パリが解放されたとき、マリオはジープのボンネットに腰掛けしがみついて
シャンゼリゼを凱旋したと言っていた。
その太い通りから脇にそれた迷路のような石畳の狭い小路はマリオが子どもの頃、友達と走り回ったところである。あっちの壁の落書きも、いつも壊れかけて閉まらなかったあの窓もみんなそのままだったといっていた。パリ市街はドイツ軍がめちゃくちゃにしてしまって諦めていたとマリオはきいていたからだ。

 こんな諸々の記憶の断片はマリオの自宅のバルコンで聞いたこともあるし、南仏の別荘のテラスで話し込んだこともあった。地中海の青緑のような色がマリオの瞳の色と同じだったな。

 マリオの青春時代と重なっていた戦争。彼の義父は第一次世界大戦のときドイツ軍の捕虜になってしまった。ボクがドイツ語を学習していくらかわかるといったら、その義父は捕虜生活の楽しい話をドイツ語を交えていっぱいきかせてくれた。やはりその義父にとっても青春時代の忘れられぬ記憶なのだった。

 パスティスを飲みながら、テラスでそんな話しをしていら、マリオがパッと遠くのボートを指さして「あいつは漁師なんだけど、あのボート、とんでもない音で明け方出てゆくんだ。それで目が覚めて頭にくる。いつも次の日にあいつのボートの船底の栓を引っこ抜いてやる!とおもうんだけどな」。数年後に退職予定のマリオは幸せそうだった。


 マリオはテレビから流れてくるノルマンディ上陸記念日の映像をジッと見ていたという。
その数日後、生まれ故郷に避暑にでかけたと連絡があった。
北イタリアはマジョーラ湖のそば、風光明媚なところである。

(おわり)

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