2019年6月6日木曜日

6月6日 D-Day 75年 その1

 ノルマンディ上陸記念日。
 現在フランスでもうじき百歳にならんとするお世話になっている方がいる。
このかた、ゲームのマリオブラザーズ主人公にそっくりなので、マリオとしておきます。

 マリオのおじさんは19世紀末から20世紀初頭、非常に有名なレストラン経営者で、マリオの父親も同業者だった。出身は北イタリアで、大都会パリで一旗あげようと、誰もが上京してきている時代だった。北イタリアからは男はレストランなど飲食業の出稼ぎか自分の店をと、女は家政婦が多かったときいた。
 叔父は一代で成功し財を成した。

 そのおじさんは自分のやりたいことを成し遂げて、事業を拡張してさらにもうけて資産家になろうとなどこれっぽっちもおもわなかったようだ。
あるとき誰もその名前を知らないものはものはいないというレストランをたたんでしまった。
オコションドレというフランス語の名前そのままの子豚の丸焼きが有名なレストランだった。
店の調度品什器は現在でも超がつくほど有名なレストランに売った。
また手持ちの高級ワインもそれらの店に流れた。

 それでもマリオの家には、当時のレストランで使用していた什器が残っていた。
Baccaratのワイングラスやシャンパングラスなど、ナイフやフォークなど銀食器など普段の生活で使っていた。
そのおじさんは、船で世界一周の旅に出た。日本にも立ち寄っている。
ボクが学生のときや勤め人になって長期休暇のときに何度か滞在した。いっぺんに300年くらい戻ったかのような小さな屋敷だった。家の外壁の厚さが1m近くもあり、驚いたものだ。
地下の貯蔵庫も天井が高く、小さな体育館くらいあった。

 そのおじさんの書斎だった部屋には日本旅行で買い求めた土産物がたくさんあった。
みな一昔前のものだ。夏目漱石の本もあった。
他の国々の土産もあったが、日本のものが目立った。最近知ったのだがおじさんが活躍した時代、
フランスではジャポニスムの嵐が吹き荒れていたのだ。現在の日本礼賛とは桁が違っていたようだ。

 おじさんはその後は生まれ故郷に帰り、余生を楽しんだ。
おじさんの墓参りに行ったことがある。
おじさんの親類のおばさんとご一緒したとき、「インテルナツィオナール」を連呼し、ここもインターナショナルになったものだとニコニコ顔だった。
おじさんのお墓は簡素なものだった。

 このとき、このおばさんは屋敷の2階にある部屋で暮らしていたのだが、もう高齢で階段の上り下りがきつくなり、1階の居間の脇にベッドをおろし、そこで暮らすようになっていた。
あるときおばさんが熱心に読書しているので、その表紙をそっとみたら、「長生きの方法」と書いてあった。


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