姉と兄が、どこの誰がみたってお釈迦様がみたって、はっきりボクにやらせているのがわかろうとおもうのに、兄と姉はすべてボクのせいにした。
何回止めても、そんなことするなとひっぱたいても、やっちゃうんだ、
こいつがいろいろ命令したんだ、
おねえちゃん、もっと瓶をしっかりささえないとだめだよ、ゆれないようにして、両手しっかり、
おにいちゃん、ボクをもちあげて、しっかりだいてよ、あっ、あんまりおなかおさえるとでちゃう、
兄は必死に言い訳をつらねている。
姉はいちいちその一言ごとに首をカクカクしてうなずいている、目に涙までためいた。
ボクは口の周りも服も牛乳まみれになって、呆然としていた。
あと少しで、ほんとにあと少しで・・・。
牛乳瓶の中味全部をす、す、すいとれたのに、な、なん、なんで・・・。
母は子どもを叱るとき、ひっぱたいたり蹴飛ばしたり殴ったりつねったり水をぶっかけたりの体罰はしない。
子育てで体罰反対論者だったのかもしれないが、ボクに下した罰はお灸だった。
今でも両手の甲の人差し指と親指の股の部分にその跡がくっきりと残っている。
こんなジジイになってもまだ残っているのだ。
お灸とは名ばかりの火刑である。焼け火箸よりはマシかも知れぬがその一種であることに間違いはあるまい。別にうらんではおらぬ。
お灸だから、てんこ盛りにされたモグサはちょっと暴れるか吹き飛ばしてしまえば、この状況から逃れることはできる。
あちーよー、おかあちゃん、あちーよー、
でも、ボクはけっしてそんなことはしなかった。反省し悔いていたからではない。
ボクは根っから素直でいさぎよいのだ。
手の甲の上の噴火中の小火山をボクはピンと突き出して耐えた。
見つかってすぐに翌朝から牛乳は配達されなくなった。
麦わらのストローはまだたくさんあり、ボクは何でもよいからおもいっきり吸い込みたくてたまらなかった。
(つづく)
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